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横須賀市岩戸
岩戸の歴史
三浦半島の東部で、武山北東部一帯の丘陵地に位置します。丘陵地帯を大規模な造成を行い住宅地になりました。
臨済宗建長寺派の満願寺、熊野神社、岩戸幼稚園、岩戸郵便局、岩戸小学校などがあります。満願寺には木造菩薩立像、木造地蔵菩薩立像、木造不動明王立像、木造毘沙門天立像があり、背後の山腹には佐原十郎義連の墓と伝えられる五輪塔があります。
戦国時代から確認できる地名で、相模国三浦郡の岩戸村になります。
『役帳』には、小田原北条氏の半役被仰付衆で石上寄子たる蜷川九朗三郎の所領役高として、「卅弐貫三百廿八文 同(三浦)岩戸」とあります。
永禄5年8月2日の北条氏康判物案写には、「知行方 七拾八貫六百廿六文 <三浦郡>小坪、卅弐貫三百廿八文<同郡内>岩戸村、以上百拾貫九百五十文、右、去夏任約諾旨、進之候」とあり、水軍として群内静謐に努めるようにと梶原吉左衛門尉に与えられています。
永禄6年7月11日北条氏康判物案写では、三浦の「岩戸村」などに加えて、さらに数ヶ所を梶原知行とし、「海上之儀、一廉走廻、可為肝要也」と記されています。
岩戸観音開帳記録に、「相州三浦岩戸ノ観音御戸開キ、嘉慶二戊辰三月廿八日ヨリ四月晦日マテ、四月卅日子日参詣申、寺中僧達多分参詣アリ・・・応永廿八年開申」と記されています。なお、岩戸満願寺には鎌倉期の地蔵菩薩立像、菩薩立像、毘沙門天像、不動明王像が現存し、三浦十郎義連が開基とと耐えられています。
江戸時代は、三浦郡の岩戸村でした。
寛永10年は幕府領、元禄10年は旗本本多氏の知行、幕末には幕府領でした。
村高は『元禄郷帳』、『天保郷帳』とも78石余、『旧高旧領』では75石余です。
『三浦古尋録』では、家数12軒。「此村ハ山谷ノ処ニシテ白雲常ニ帯、樹々路ヲサシハサミ、伐木の音■([谷]に[奚])谺ニヒビキ、松風流水ノミ聞テ物静ナル山家ナリ」とあります。
『新編相模』では、江戸から18里、東西20町・南北12町、家数12軒、佐原村に飛地があります。鎮守は熊野三社と太神宮、寺院には臨済宗岩戸山満願寺があります。
明治元年、神奈川府を経て神奈川県に所属します。
明治22年、久里浜村の大字の岩戸になります。
明治24年、戸数14、男57人・女51人。
昭和12年、横須賀市の大字になります。
昭和50年、一部が粟田、大矢部に分離します。
昭和52年、一部が佐原、大矢部になります。
地名の由来
岩壁を門戸としているような険しい場所から。
「イワ」は岩や山を表し、「ト」は場所や狭い場所を表すといわれています。
長い階段を上った山の頂にある熊野神社です。ですが、海の神様で、かつてはすぐ近くまで海だったようです。 |
岩戸山満願寺です。臨済宗のお寺です。三浦一族でも有名な、佐原十郎義連のお墓があります。 |
岩戸地区で見付けた庚申塔、石仏、祠などです。庚申塔のたぐいが多い場所だなーと思いました。 |
ゲンジボタルを見ることが出来る水路沿いの遊歩道。6月ごろに行けば、ホタルに会えると思います。 |
岩戸で見かけた、風景写真や景色写真です。 |
岩戸団地の中にある小学校。 |
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