御成町の歴史
鎌倉駅の西側になります。「おなりちょう」と呼ぶ人も多いですが、正式には「おなりまち」です。
鎌倉市役所、江ノ電名店街、ときわ相互銀行鎌倉支店、社会福祉協議会、消防団29分団、鎌倉商工会議所、御成小学校、中央図書館、佐藤病院などがあります。鎌倉ローンテニスクラブの跡地には、紀ノ国屋スーパーが出店しています。
1965年(昭和40年)に誕生した鎌倉市の町名です。
もとは大町の久保・西町、小町の今小路(いまこうじ)・七ツ長(ななつなが)、扇ガ谷の千葉地・千葉ガ谷になります。
1899年(明治32年)、鎌倉御用邸ができました。
1923年(大正12年)、関東大震災によって鎌倉御用邸が倒壊しました。
1933年(昭和8年)、鎌倉御用邸の跡地に御成尋常高等小学校(現在の御成小学校)が開校しました。鎌倉市内唯一の市立小学校だった鎌倉小学校が児童数の増加にともなて、御用邸跡地2万坪あまりの払い下げを受けて建設されました。のち、敷地内から様々な遺跡が発掘されています。
昭和40年、世帯数627、人口2304人です。
昭和44年、市役所新庁舎が完成しました。
昭和51年、世帯数515、人口1492人です。
地名の由来
御成小学校のある場所に鎌倉御用邸があり、皇室が御成りになったことが名前の由来となっています。
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