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三軒家公園


三軒家公園

バス停観音崎下車 徒歩1分
地図
三軒家公園
三軒家公園

 観音崎バス停の目の前にある、とっても細長い公園、「三軒家公園」。疲れていたし、あまりにも細長くて、先の方に行く元気がなかったので、バス停のすぐ近くから写真を撮影しました。
 あまり人家がないので、公園は必要なさそうに思えるのですが・・・
 地名が示す通り、家は三軒しか建ってないし。なんといっても、神奈川県立観音崎公園という、とても立派な公園が目の前にあるわけだし。
三浦半島観光地図:横須賀市鴨居・観音崎公園
 実際、公園には誰もいなかった・・・(^^ゞ
 細長くても、利用者が誰もいなくても、公園としての機能は有しています。ベンチ、シーソー、ブランコ、滑り台などが設置されています。
 シーソーって、地域によって呼び方が異なるんですよね。私は「キッタンバッコン」と呼んでいましたが、「ギッタンバッタン」、「ギッコンバッタン」などなど・・・
 ブランコは、プロ野球選手にいますね。

写真撮影:2008年08月15日

地名の由来

バス停観音崎下車 徒歩1分
地名の由来
地名の由来

 地名の由来を明記してあるのって、歴史好きの私にとってはとても嬉しいです。この看板を設置した、浦賀行政センター市民協働事業・浦賀探訪くらぶに感謝です!!
 三軒家の地名の由来は、かつてこの場所には3軒しか家が建っていなかったので「三軒家」と呼ばれていました。家の数は、現在でもあまり変わらないかもしれません。
 現在では「三軒谷」という表記が使われています。これは谷戸地形からきたものと思われます。
 観音崎公園一帯は、幕末の頃から、江戸湾海防のために砲台が築造されました。明治維新以降、所管は海軍省になり、その後、陸軍省に代わって、終戦の1945年(昭和20年)まで引き継がれてきました。
 1881年(明治14年)、要塞地帯となり、一般人は立ち入り禁止となりました。
 観音崎灯台の周囲には、数多くの砲台跡が残されています。第一砲台から第四砲台の他にも、南門砲台、大浦砲台、三軒家砲台などが名を残しています。火薬庫跡、頑丈な石組み、レンガ造りの砲台跡は、現在でも原型に近い形で残されています。
三浦半島観光地図:横須賀市鴨居・三軒家砲台跡

写真撮影:2008年08月15日

三軒家の場所

バス停観音崎下車 徒歩1分
三軒家の場所
三軒家の場所

 かつて、三軒家と呼ばれていた場所を示す地図です。
 実はかなり狭い範囲になります。左右を山に囲まれた、谷戸地形の場所です。
 住所で言うと、鴨居はかなり広いですが、古い地名というのは、かなり狭い範囲になります。古い地図を見ると、かなり細かく地名が書かれているので、わかるんじゃないかなーと思います。
 谷戸地形の場所では、水が豊富なため、稲作が盛んに行われてきました。おそらくこの三軒家でも、田んぼがあり、稲作が行われていたと考えられます。
 谷戸は稲作を行うのに適した場所なので、人家が3軒しかなかったというのは、不思議な気がします。狭いエリアなので、3軒しかなかったのかもしれません。

写真撮影:2008年08月15日
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