円形の広場のようになっている場所。ちょうどここが、砲台跡になるみたいです。この場所に、砲台が据え付けられていたと思われます。
三軒家砲台は、1894年(明治27年)12月15日に着工され、1896年(明治29年)12月20日に完成しました。マ式12cm速射カノン砲2門、カネー式27cmカノン砲4門で、原形に近い形で現在も残されています。
1923年(大正12年)、関東大震災によって被災しました。
1927年(昭和2年)、震災復旧工事が完了しました。
1934年(昭和9年)年8月20日、地下庫、見張所、井戸、便所などもありましたが廃止されました。
観音崎は東京湾側に突出した岬のため、東京湾防備の重要地点として明治13年〜明治28年の間に、観音崎各地にレンガとコンクリートによる15ヶ所の近代的な砲台が作られました。これらの砲台は、日清戦争・日露戦争でも活躍した砲台です。 |