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三軒家砲台跡


三軒家砲台跡

バス停観音崎下車 徒歩10分
地図
三軒家砲台跡
三軒家砲台跡

 横須賀美術館から、三軒家砲台跡を目指してみることにしました。三軒家砲台跡は、観音崎公園内にあります。観音崎公園はとても広いので、1日だけでは回り切れません。
三浦半島観光地図:横須賀市鴨居・観音崎公園
三浦半島観光地図:横須賀市鴨居・横須賀美術館
 観音崎公園って、あまり行きたくない場所なんですよ・・・。なんかさ、この公園って幽霊がいるみたいで。幽霊のいる場所に行くと、息苦しくなってきて動悸がするんですよー(T_T)
 豪快に積まれている石垣。三軒家砲台跡の石垣は、こんな感じに作られています。ブラフ積みと呼ばれる、積み方です。各段に長辺(長手)と短辺(小口)が交互に並ぶように積む方法です。レンガの「フランドル積み」や「フランス積み」と同じです。
 ブラフ積みは横浜市中心部や、横須賀市の要塞跡地で見かけることのできる積み方です。日本の石垣の積み方とは異なるので、ヨーロッパから伝えられた工法だと考えられます。実は日本の石垣の積み方の方が丈夫なんだとか・・・

写真撮影:2008年08月15日

三軒家砲台跡

バス停観音崎下車 徒歩10分
三軒家砲台跡
三軒家砲台跡

 円形の広場のようになっている場所。ちょうどここが、砲台跡になるみたいです。この場所に、砲台が据え付けられていたと思われます。
 三軒家砲台は、1894年(明治27年)12月15日に着工され、1896年(明治29年)12月20日に完成しました。マ式12cm速射カノン砲2門、カネー式27cmカノン砲4門で、原形に近い形で現在も残されています。
 1923年(大正12年)、関東大震災によって被災しました。
 1927年(昭和2年)、震災復旧工事が完了しました。
 1934年(昭和9年)年8月20日、地下庫、見張所、井戸、便所などもありましたが廃止されました。
 観音崎は東京湾側に突出した岬のため、東京湾防備の重要地点として明治13年〜明治28年の間に、観音崎各地にレンガとコンクリートによる15ヶ所の近代的な砲台が作られました。これらの砲台は、日清戦争・日露戦争でも活躍した砲台です。

写真撮影:2008年08月15日

三軒家砲台跡

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三軒家砲台跡
三軒家砲台跡

 枯れ葉で埋まってしまっている砲台跡。
 入り口はコンクリートで塞がれてしまっています。もし塞がれていなかったら、かなり貴重な戦争遺構になるんですけどね。コンクリートで塞いだ方が、長期の保存には向いているのかもしれないけど。
 もし自分にもう少し勇気があれば、ここを下りていき、コンクリートの隙間を探して写真を撮るんだけど。そこまでの勇気はありませんでした。
 この場所は、かつて弾薬庫として使われていた場所のようです。落ち葉を取り除くと、階段になっていると思います。

写真撮影:2008年08月15日

三軒家砲台跡

バス停観音崎下車 徒歩10分
三軒家砲台跡
三軒家砲台跡

 ここも円形の広場になっています。砲台が据え付けられていたと考えられます。
 円形になっていることで、広範囲を射程に収めることができたのでしょう。真っ直ぐにしか撃てなかったら、砲台としてあまり意味がないし。 三軒家砲台は、第三海堡と第二海堡の間を航行する敵艦の射撃や、走水と第三海堡の水雷を援護することが任務でした。水雷艇のことかな?水雷攻撃を援護することかな?保管している水雷そのもののことなのかな?そこまで詳しいことは、わからないのですが。
三浦半島観光地図:横須賀市平成町・うみかぜ公園
三浦半島観光地図:横須賀市平成町・東京湾口航路事務所
三浦半島観光地図:横須賀市走水・旗山崎、御所ヶ崎

写真撮影:2008年08月15日

三軒家砲台跡

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三軒家砲台跡
三軒家砲台跡

 砲台の後ろには、やっぱり同じような構造になっています。
 勇気がないので、下には下りませんでした。立ち入り禁止になっているわけじゃないので、勇気がある人は自由に降りることができるようです。
 観音崎の砲台の歴史は、実はかなり古く江戸時代にまで遡ります。
 江戸湾防備のため、1812年(文化9年)、川越藩主松平肥後守によって、最初の砲台が築かれました。正確な場所はわかりませんが、観音崎公園内のどこかです。
 1821年(文政4年)以後は、浦賀奉行所によって管理されるようになりました。1861年(慶応4年)、江川太郎左衛門に管理が引き継がれました。
 明治時代以後は、海軍省から陸軍省へと引継がれました。観音崎一体は1861年(明治14年)に要塞となり、一般人は立ち入り禁止となりました。1945年(昭和20年)8月15日の太平洋戦争終戦まで管理され続けました。

写真撮影:2008年08月15日

三軒家砲台跡

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三軒家砲台跡
三軒家砲台跡

 謎のレンガ造りの遺構。
 入り口がカマボコ型の部分だったら、かなり大きな入り口ですね。鉄製の扉部分だけが入り口だったら、小さな入り口です。入り口の大きさによっても、何に使われた遺構なのか想像を膨らませることができます。
 石垣はブラフ積みですが、レンガはイギリス積みで造られています。
 倉庫跡だったと思います。何を入れて保管していたのかまではわかりませんが。

写真撮影:2008年08月15日

三軒家砲台跡

バス停観音崎下車 徒歩10分
三軒家砲台跡
三軒家砲台跡

 バーベキューコンロでしょうか?バーベキューをするには、ちょうど良い大きさですねー。かまどで、給餌室ってことかな?
 それとも、トイレかな?トイレだとしたら、しっかりと作りすぎかな?砲撃を受けても耐えられるようなトイレを作りたかったのかもしれません。
 ここは観測所跡のようです。バーベキューコンロのような場所に、測距儀(レンジファインダー)を設置して、標的との距離を計測するための機械です。記念艦三笠に、似たような物が設置されています。
三浦半島観光地図:横須賀市稲岡町・記念艦三笠

写真撮影:2008年08月15日

三軒家砲台跡@

バス停観音崎下車 徒歩10分
三軒家砲台跡
三軒家砲台跡

 崩れかけている場所もあります。足元に崩れた石垣が転がっています。
 大きな入り口が2つ、並んでいます。入り口は完全にコンクリートで塞がれてしまっています。崩れかけていたのを、何度も直していたんだと思います。コンクリートの色が違うのは、補修した後でしょう。中央部分の白いコンクリートが、一番新しいものでしょう。最終的には、崩壊の危険性があるため、入り口をふさいだのだと思われます。
 ここは2つのトンネルになっていて、入り口の門柱付近にある2つの鉄製の扉に繋がっています。

写真撮影:2008年08月15日

三軒家砲台跡

バス停観音崎下車 徒歩10分
三軒家砲台跡
三軒家砲台跡

 遺跡も植物に覆われています。植物の根が、石垣の隙間などに入り込んで、石垣を崩してしまいます。100年以上の歴史になるので、文明より自然が優っているということでしょうか。
 こういった光景を見ると、『天空の城ラピュタ』を思い起こしてしまいます。自然の力強さを感じます。

写真撮影:2008年08月15日

三軒家園地

バス停観音崎下車 徒歩10分
三軒家園地
三軒家園地

 三軒家砲台の一部は、三軒家園地という公園になっています。せっかくの貴重な戦時遺構を壊してまで、公園を作る必要はなさそうな気がするのですが・・・。失われたものは作り直すことができないんだから、なんか、もったいないですよね。
 それにしても、なぜ河童なんだろう。三軒家には、河童伝説があるのでしょうか?
 河童の形をした、三軒家園地の案内版ですが。フレーム構造になっているので、河童だと気が付かない人も多いんじゃないかなーと思います。
 砲台跡なので、大砲の形にすれば良かったのに・・・

写真撮影:2008年08月15日

三軒家園地

バス停観音崎下車 徒歩10分
三軒家園地
三軒家園地

 綺麗に整備された公園です。広い観音崎公園の中に、三軒家園地という公園があります。観音崎公園は広いのですが、その半分くらいは深い森になっています。貴重な遺構が残る場所なので、あまり開発して欲しくないですね。
 三軒家園地は見晴らしが良く、観音崎の海岸、東京湾を眺めることができます。この場所に砲台が作られる理由が、わかったような気がします。

写真撮影:2008年08月15日

三軒家園地

バス停観音崎下車 徒歩10分
三軒家園地
三軒家園地

 三軒家園地の中にある、唯一の建造物。東屋といったところかな。
 休憩することもできるのですが、蚊がたくさんいるので、ゆっくりと休憩することはできません。観音崎公園を散策するには、虫除けスプレーなどを使った方が良いと思います。
 観音崎公園内はアップダウンが激しい上に、とても広いので、休憩できるスペースが欲しいですね。ところが、ほとんどの休憩スペースでは、蚊に襲われてしまうため、休憩することができません(^^ゞ

写真撮影:2008年08月15日

第三海堡

バス停観音崎下車 徒歩10分
第三海堡
第三海堡

 第三海堡の案内看板です。この看板が設置された頃は、第三海堡が残っていたっていうことになりますね。歴史を感じさせる看板です!!
 海堡とは兵備を施した人工島です。第三海堡は、明治25年〜大正10年までかかって建設されました。しかし、長い年月と巨額の費用を投じたにもかかわらず、完成から2年後の関東大震災で崩壊し、廃墟となってしまいました。
 第三海堡には、砲台、船着き場、サーチライト、地下室、兵舎、水タンク、炊事場、防波堤、土のうなどが設置、建設されました。
 第三海堡は暗礁になっていましたが、2000年から撤去作業が始まり、2007年に撤去作業が完了しました。遺構の一部は、平成町のうみかぜ公園に展示されています。
三浦半島観光地図:横須賀市平成町・うみかぜ公園
三浦半島観光地図:横須賀市平成町・東京湾口航路事務所

写真撮影:2008年08月15日

三軒家砲台跡A

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三軒家砲台跡
三軒家砲台跡

 三軒家砲台入り口のすぐ近くにある、2つの鉄製の扉。
 ここは2本のトンネルになっていて、@とAが繋がっています。三軒家砲台の地図で確認すると、2本のトンネルがあることがわかります。
 重たい弾薬を運ぶのが大変だったり、人員の移動に時間がかかるり、効率化のためにトンネルを掘ったのかな。それとも、砲手が安全に砲台まで辿り着けるように、トンネルを掘ったのかもしれません。

写真撮影:2008年08月15日

三軒家砲台跡

バス停観音崎下車 徒歩10分
三軒家砲台跡
三軒家砲台跡

 三軒家砲台の入り口です。
 現在ではコンクリート製の柱が立っているだけですが。かつては、厳重に警備されていたのかもしれません。鉄製の扉が設置されていたと、考えられます。
 観音崎公園全体が、かつては要塞となっていました。
 観音崎公園内には、観音崎第1砲台、観音崎第2砲台、観音崎第3砲台、観音崎第4砲台、南門砲台、大浦堡塁砲台、腰越堡塁砲台、三軒家砲台があったらしいです。
 現在でも砲台跡として残っているもの、かろうじて一部分が残されているもの、完全に取り壊されているもの、立ち入りできない場所にあるものなどがあるようです。体力がないので、1日では回り切れません(T_T)

写真撮影:2008年08月15日

三軒家砲台跡

バス停観音崎下車 徒歩10分
三軒家砲台跡
三軒家砲台跡

 案内看板に書かれた三軒屋砲台の地図です。
 砲台は、マ式12cm速射カノン砲2門、カネー式27cmカノン砲4門からなります。この他、便所、井戸、見張所があります。
 12cmカノン砲の砲台は、見付けることはできませんでした。27cmカノン砲は、地図だと24cmになっているんだけど、説明文を見ると27cmになってる。どっちなんだろう・・・。4門あるのですが、そのうちの1門は、三軒屋園地に整地されてしまっています。残っているのは3門の砲台跡です。
 事前に地図を持って行った方が、何があるのかわかりやすいと思います。私は地図なしで行ったので、どこをどう回って行ったのか、さっぱりわからなくなってしまいました。
三浦半島観光地図:横須賀市鴨居・北門第一砲台

写真撮影:2008年08月15日
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