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北門第一砲台跡


北門第一砲台跡

バス停観音崎下車 徒歩15分
地図

 観音崎砲台は、観音崎を形成する丘陵上から谷の中にかけて存在しています。三浦半島東端の観音崎と房総半島富津岬間の東京湾でもっとも狭い海域は、東京湾を内湾と外湾に分割しています。
 東京湾要塞を構成する陸軍砲台で、1880年(明治13年)に日本で最初に建設された様式砲台です。大浦保塁から東側の丘陵と谷にあり、南北は北門と南門がありました。
 防禦営造物として、丘陵上には砲台とその付帯施設、谷中には建築物群があります。各施設は北門から南門に至る軍道によって結ばれています。そのほか、衛兵所、監守衛舎、油庫、火薬庫、弾薬調整所、弾丸庫、電灯所、発電所などが配置されています。

 観音埼灯台が日本初の洋式灯台だとすれば、北門第一砲台は日本初の洋式砲台となります。
 工事の着工日に関しては2つの記録があり、1880年(明治13年)5月4日、もしくは1880年(明治13年)6月5日とあります。完成したのは、1884年(明治17年)6月27日です。完成はしたものの、設置する大砲がなかったため、砲台だけが完成しました。半円形の2基の砲台が扇状に配置され、海に向かっています。
 砲台完成から約10年後の1894年(明治27年)9月3日、クルップ式23口径24cmカノン砲が2門が設置されました。
 1915年(大正4年)、大砲は撤去され、陸軍の防禦営造物から除籍され、北門第一砲台は廃止されました。

 第一砲台は横墻によって区画された2砲座があります。中央横墻の下に砲側弾薬庫があり、レンガ造隧道の壁面に揚弾井の開口部が2ヶ所あり、現在は開口部が閉塞されているため内部を確認することはできません。北側横墻中には掩蔽部があり、南側横墻上には観測所があります。
 レンガ造隧道はフランス積みで、レンガの刻印は確認できませんでした。微細な雲母を含む胎土、色調は猿島砲台跡で使用されている東洋組製のレンガに酷似しています。
 砲座内壁、弾室などに使用されている石材は、猿島砲台跡で使用されているものとは異なっています。

 2016年(平成28年)4月25日、日本遺産に認定されました。

観音崎公園|横須賀市鴨居 - 三浦半島観光地図
三軒家砲台|観音崎公園|横須賀市鴨居 - 三浦半島観光地図
鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴|日本遺産|三浦半島事典 - 三浦半島観光地図


北門第一砲台跡

バス停観音崎下車 徒歩15分
北門第一砲台跡
北門第一砲台跡

 観音崎海岸から、観音崎灯台へ行き、そのまま道なりに進んで行ったら、こんな場所に出たー。
三浦半島観光地図:横須賀市鴨居・観音崎海岸
三浦半島観光地図:横須賀市鴨居・観音崎灯台
 またしても、天空の城ラピュタのような場所。いきなり別世界に来たような印象を受けます。宮崎駿さん、引退しないで、生涯現役を貫いてください!!

写真撮影:2008年08月15日

北門第一砲台跡

バス停観音崎下車 徒歩15分
北門第一砲台跡
北門第一砲台跡

 約7年の時間が経過し、同じ場所を訪れてみました。
 以前と変わらずに保存されているので安心しました。
 それにしても、帰宅後に写真を見比べてみたら7年前と同じ構図で写真を撮っていたとは・・・
 進歩がないですね(^^;)

写真撮影:2015年11月03日

北門第一砲台跡

バス停観音崎下車 徒歩15分
北門第一砲台跡
北門第一砲台跡

 やっぱり一番気になるのが、トンネル。ここを通らなくては、話が始まりません。
 レンガはフランス積みという積み方で造られています。観音崎公園内の砲台は、フランス積みが多いみたい。地元ではフランス積みと呼ばれていますが、フランドル積みと呼ばれることもあります。
三浦半島観光地図:横須賀市鴨居・観音崎公園
 良く観察してみると、かつて扉があったと思われる場所が2ヶ所あります。砲台側に向かっているようですが、地図にも書かれておらず、何があったのか詳しいことは良くわかりません。

写真撮影:2008年08月15日

北門第一砲台跡

バス停観音崎下車 徒歩15分
北門第一砲台跡
北門第一砲台跡

 北門第一砲台跡を訪れたら、一番気になるものはこのレンガ造の建築物でしょう。
 っていうか、目を惹くものはこれくらいしかありません(^^;)

写真撮影:2015年11月03日

北門第一砲台跡

バス停観音崎下車 徒歩15分
北門第一砲台跡
北門第一砲台跡

 こちら側から見るとトンネル内の左側、2ヶ所の開口部がありました。
 写真を撮り忘れてしまったので、再び訪れた時に写真を撮るようにしなくては。

写真撮影:2015年11月03日

北門第一砲台跡

バス停観音崎下車 徒歩15分
北門第一砲台跡
北門第一砲台跡

 トンネル内はこんな感じになっていました。2つの砲台を、トンネルで結ぶ構造になっています。
 レンガにはひとつひとつ、名前が書かれています。建設当時に書かれた名前ではなく、観光客が書いた落書きです。中国人観光客が世界遺産に落書きしたりして問題になったりしていますが、日本人も変わらないですね(T_T)
 観音崎公園で砲台跡を見学するには、冬に行くのがいいんじゃないかなーと思います。植物が生い茂っていると、草むらの中に隠れた遺構を見逃してしまうし。スズメバチやら、マムシやら、蚊やらに襲撃されるかもしれないし。

写真撮影:2008年08月15日

北門第一砲台跡

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北門第一砲台跡
北門第一砲台跡

 フランス積みのレンガです。
 フランス積みのレンガは日本では珍しいです。
 フランスからレンガ造の技術が導入されたので、横須賀市内ではフランス積みのレンガ造を見かけることが多いです。

写真撮影:2015年11月03日

北門第一砲台跡

バス停観音崎下車 徒歩15分
北門第一砲台跡
北門第一砲台跡

 とても頑丈な造りになっています。砲撃を受けても守ることができるように、頑丈に造られているのかもしれない。
 本当はレンガ造りですが、上からコンクリートで塗り固められています。壊れた部分をコンクリートで補修したんだと思います。
 地図によると、このトンネルに下に地下室が造られているようです。三軒家砲台と同じように、階段で降りられるようになっているみたいです。現在はコンクリートで塗り固められてしまっているので、地下室には入ることができません。
 地下室は弾薬庫や、兵員室として使用されていました。

写真撮影:2008年08月15日

北門第一砲台跡

バス停観音崎下車 徒歩15分
北門第一砲台跡
北門第一砲台跡

 砲台が置かれていた場所。ほぼ円形に近い形で造られています。砲台は左右に2門ずつあります。
 この砲台に据え付けられていた大砲は、24cm砲です。ホワイトベースの主砲は、52cm砲で、一年戦争当時では最大の口径を持ちます。宇宙戦艦ヤマトの主砲は、46cm三連装衝撃砲です。宇宙戦艦ヤマトの主砲は、太平洋戦争時に造船された大和と同じですね。海上自衛隊のあたご型イージス艦になると、主砲は127mmになります。

写真撮影:2008年08月15日

北門第一砲台跡

バス停観音崎下車 徒歩15分
北門第一砲台跡
北門第一砲台跡

 ここが砲座になります。
 円形になっているので、大砲が据え付けられていたんだなーっていうのがわかります。
 ヤブの中などにも遺構があるので、時間のある時に探してみたいと思っています。

写真撮影:2015年11月03日

北門第一砲台跡

バス停観音崎下車 徒歩15分
北門第一砲台跡
北門第一砲台跡

 座る人の少ない石製ベンチ。
 このベンチでじっと座っていると、蚊に刺されてしまいます。

写真撮影:2015年11月03日

北門第一砲台跡

バス停観音崎下車 徒歩15分
北門第一砲台跡
北門第一砲台跡

 横墻にある半円形の凹部。
 砲台跡を見に行くと、ほとんど必ずと言っていいほどあるような気がします。
 以前、何に使わる部位なのか聞いたことがあるんですが、すっかり忘れてしまいました(>_<)

写真撮影:2015年11月03日

北門第一砲台跡

バス停観音崎下車 徒歩15分
北門第一砲台跡
北門第一砲台跡

 案内板に書かれていた地図です。砲台跡の地図って、地図を見ても良くわからないんだけど・・・。自分が地図を読むのが苦手だからかな?
 砲台、トンネル、地下室の他、倉庫があったみたいです。倉庫はコンクリートで造られているみたいです。最初からコンクリート製なのか、レンガ造りだったものの上からコンクリートで塗り固めたものなのかは、良くわかりません。
三浦半島観光地図:横須賀市鴨居・三軒家砲台

写真撮影:2008年08月15日

北門第一砲台跡

バス停観音崎下車 徒歩15分
北門第一砲台跡
北門第一砲台跡

 砲台の説明版の後ろ側、すでに埋め戻されてしまった地下室への開口部があります。
 ちょっとだけ穴が開いているので、デジカメのレンズをねじ込んで撮影すれば、内部がどうなっているかが少しだけわかると思います。

写真撮影:2015年11月03日
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