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観音埼灯台


初代観音崎灯台

バス停観音崎下車 徒歩15分
地図
初代観音崎灯台
初代観音崎灯台

 日本初の洋式灯台である「観音埼灯台」。
 1866年(慶応2年)5月、江戸幕府はアメリカ・イギリス・フランス・オランダの4ヶ国との間で改税約定を結びました。その第十一条に、灯明台を備えなければいけないと書かれてあります。各国が提出した灯明台箇所書には、相模国三浦郡三崎と、観音崎が示されていました。この他にも、開港場の整備(横浜港)、艦船修理施設の整備(横須賀製鉄所)などが含まれていました。
 そして幕府は、横須賀製鉄所を建設するために来日していたフランス人技師(首長)フランソワ・レオン・ヴェルニーに灯台建設を依頼しました。
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 ヴェルニーは製鉄所建設課長のルイ・フェリックス・フロランに灯台建設を任せました。途中で江戸幕府から明治政府に政権が代わりましたが、依頼はそのまま引き継がれました。
 日本最初の洋式灯台として観音埼灯台は、1868年(明治元年)8月30日に起工し、12月29日に完成しました。レンガと化粧石、石灰を使い、四角形白塗装の建物と、フランス製レンズを備えました。1869年(明治2年)1月1日、初めて点灯しました。
 この灯台の起工日の新暦日にあたる11月1日が、のちに「灯台記念日」となりました。

写真撮影:----年--月--日

観音崎灯台

バス停観音崎下車 徒歩15分
観音崎灯台
観音崎灯台

 観音崎灯台の手本となった灯台は、フランスのコルシカ島南部にあるポルトベッキオ港近くのキアッパ灯台です。観音崎灯台の設計施工担当だったフロランが、来日前に工事を担当した灯台です。
 灯台の建設に使用されたレンガは、フランス人技師により横須賀製鉄所で作られたもので、64600枚も使われました。そのひとつひとつに「ヨコスカ製鉄(鋳)所」の印が押されています。日本初の灯台と同じく、レンガも日本で初めて作られたレンガです。1923年(大正12年)6月26日、光源として白熱電灯が使われるまでは、菜種や落花生の油、パラフィン、石油などが燃料として使い、反射鏡で反射させていました。
 日本最初の灯台職員は、満蔵と安次郎です。『日本灯台史』にその名前が書かれていますが、苗字は不明です。

写真撮影:----年--月--日

観音崎灯台

バス停観音崎下車 徒歩15分
観音崎灯台
観音崎灯台

 3代目、観音崎灯台の雄姿です。遠くから見た観音崎灯台の姿は、今も昔も、あまり変わらないですね。周辺の地形も、あまり変わっていないように感じます。
 1922年(大正11年)4月26日、浦賀水道付近を震源とする浦賀水道地震(マグニチュード6.8)が起き、大きな亀裂ができてしまいました。
 1923年(大正12年)3月15日、2代目を再建しました。
 1923年(大正12年)9月1日、関東大震災で崩れ落ちてしまいました。海岸には2代目の灯台の台座が残っています。
 1925年(大正14年)6月1日、再建され現在に至ります。現在の観音崎灯台は3代目になります。

写真撮影:----年--月--日

観音崎灯台

バス停観音崎下車 徒歩15分
観音崎灯台
観音崎灯台

 観音崎灯台は、灯台としては珍しく、上ることができる灯台です。
 誰でも登れるわけではなく、大人200円が必要です。子供は無料だったかな。以前は150円だったのに、50円の値上げです。観音崎灯台のある場所まで、ヒーヒー言いながら上ってきたので、ここからさらに上に上るという気になれず、写真だけ撮影して、灯台には登りませんでした。というより、上る体力がありませんでした。
 灯台は八角形で、高さは19m、海面から灯台の光源までの高さは55mあります。水銀槽式回転転灯器と呼ばれる、四等レンズを水銀槽の上に乗せて回転させます。光度は14万カンデラ、光達距離は37kmになります。
 高さはガンダムなどのモビルスーツとほぼ同じなので、ザクのモノアイを回転させるのがカッコイイと思います。
 構内には石碑や句碑がいくつかあります。灯台守の厳しい生活と、出船に対する情愛の深さを感じさせる句碑もあります。
 1948年(昭和23年)秋、高浜虚子が観音崎を訪れ、緑の岬角に立つ白亜の雄姿と、灯台に勤める職員が困難と戦う姿が詠まれています。この年は、海上保安庁が創設され、灯台80周年記念式典が開かれた年でもあります。

 高浜虚子 

霧いかに
深くとも
嵐強くとも

 初代海上保安庁長官 大久保橙青 
汽笛吹けば
霧笛答える
別れかな
写真撮影:2008年08月15日

観音崎灯台

バス停観音崎下車 徒歩15分
観音崎灯台
観音崎灯台

 観音崎灯台には資料館が併設されており、灯台に登るための200円を払えば、資料館も見ることができます。
 1957年に製作された映画『喜びも悲しみも幾歳月』で、舞台となった灯台です。監督・脚本は木下恵介、出演は高峰秀子、佐田啓二などです。木下忠司が作曲したテーマ曲は、若山彰が歌い大ヒットしました。佐田啓二は中井貴一の父親です。
 全国各地を転勤する、灯台守夫婦の物語です。途中で戦争などもあり、波乱な人生を夫婦で乗り越えていきます。
 転任の最初が、横須賀市の観音崎灯台で、入り口や灯台、周辺が撮影され、実際にロケが行われています。灯台の敷地から見える、千葉、観音崎海岸、久里浜の山並みなどは、現在とかなり異なっています。夫婦は再び観音崎に戻ってきます。娘が結婚して、船で海外へ行くシーンは、灯台のライトと霧笛、船の汽笛に主題歌のコーラスがオーバーラップされ、感動のクライマックスシーンです。
 映画にも登場するように、昔は灯台守が管理していましたが、現在は無人になっています。

写真撮影:2008年08月15日

観音崎灯台

バス停観音崎下車 徒歩15分
観音崎灯台
観音崎灯台

 灯台のてっぺんには、風向き計が設置されていました。その上にはアンテナのようなものがあったので、避雷針なんじゃないかなーと思います。
 天井のドーム状の部分には、作業用の足場が設置されています。
 「白い貴婦人」といわれる灯台で、『おいら岬の灯台守は』の歌に登場します。
 観音崎灯台が建っている場所は、1812年(文化9年)〜1852年(嘉永5年)まで、観音崎台場として、江戸湾防備のための砲台が設置されていました。砲台としては場所が高すぎるという理由から、のちに山の下に移動させられています。灯台の横手にある道を少し下ると、砲台跡があります。
 夜は心霊スポットとしても有名かな?観音崎公園のとある場所には、いるみたいです・・・(TωT)。霊感のない人には気が付かないみたいだけど。私からすれば、なんともないのが不思議だー。

 

写真撮影:2008年08月15日

観音崎灯台

バス停観音崎下車 徒歩15分
観音崎灯台
観音崎灯台

 市制施行70周年を記念して選ばれた、横須賀風物百選のうちのひとつ。
 風物百選なので、100ヶ所あるはずです。いつかすべてを回ってみたいと思っていますが、きっと無理なんだろうなぁ〜。百選のすべてがわかっていればいいんだけど、あんまり良くわからないので。もしかしたら、取り壊されてしまった物もあるだろうし。
 市制施行70周年の時、横須賀市から刊行物が発売されたみたいです。その時の本を持っていれば、わかるかもしれません。約30年ほど前のことですが。

写真撮影:2008年08月15日

観音崎灯台

バス停観音崎下車 徒歩15分
観音崎灯台
観音崎灯台

 観音埼灯台の道標です。観音埼灯台って書かれてあるみたいですが、その下にもさらに何文字か、書かれているみたい。でも、読み取れませんでした。
 ここは庚申塔の年代を調べる時に使う、拓本のテクニックを使って読み取ろうとか思ったのですが。なんかちょっと、におうので・・・
 犬なのか、人間なのかわかりませんが、ちょっとオシッコ臭かったので近寄りませんでした(^^ゞ
 横須賀市内には、古い石柱がたくさん残されています。そのほとんどは、陸軍や海軍などの軍事施設関連の石柱です。

写真撮影:2008年08月15日
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