横須賀海軍工廠庁舎として建設され、現在は米海軍横須賀基地B39建物となっています。米海軍の下士官用クラブになっています。
以前の横須賀海軍工廠庁舎は、レンガ造2階建ての歴史主義建築として1912年(大正元年)11月1日に起工し、翌年の9月20日に竣工しました。この庁舎が関東大震災で被害を受けたため、再建されたものになります。
真島健三郎の柔構造論による最初期の耐震建築として、貴重な建物です。
すぐ後ろにはL字型をした1927年(昭和2年)に建てられた米海軍横須賀基地B39A建物があります。
鉄骨造の総2階建てで、1927年(昭和2年)5月に竣工しました。建築面積が904u、工費が13万9112円920でした。
鉄骨の使用鋼材は横須賀海軍工廠が所有していた「古鉄材」が使用されています。
平面は両翼を後方に大きく突き出させて、中央に玄関と大階段を配置し、桁行方向に中廊下を通して左右に部屋を設置した左右対称のコの字形です。外観は陸屋根の箱型建築ですが、両翼を突き出させた左右対称で、歴史主義的な骨格があります。
建物の各部には幾何学的な装飾が配され、単窓の上げ下げ窓が連続して付けられています。
鉄骨架構や単窓の上げ下げ窓などの建築的な特徴は、当時の海軍建築局長だった真島健三郎の柔構造論による耐震建築の特徴と一致しています。基礎は真島の意見によって、当初の設計案を変更して建設されています。設計には真島の直接的な指導があったと思われます。
横須賀海軍工廠を所管していたのは横須賀海軍建築部になるので、設計の担当技術者は、技師の浦五十吉(1889年〜不明)でした。
浦五十吉は大正4年に東京帝国大学工科大学建築学科を卒業して、大正6年に文部大臣官房建築課の嘱託となり、大正7年に海軍技師となって横須賀海軍経理部建築課(のちの横須賀海軍建築部)に赴任した建築技術者です。震災復興期の横須賀鎮守府で、柔構造論による耐震建築と考えられる横須賀海兵団兵舎などの設計を担当しています。
2016年(平成28年)、日本遺産「鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴」に指定されました。
鎮守府
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