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長岡半太郎記念館


長岡半太郎記念館

京急長沢駅下車 徒歩15分
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長岡半太郎記念館
長岡半太郎記念館

 長岡半太郎記念館と若山牧水資料館は同じ建物です。
 長岡半太郎博士は1865年(慶応元年)、肥前(現在の長崎県)の大村藩士の家に生まれました。戊辰戦争に官軍として参加した父に伴われて上京しました。
 東京帝国大学物理学科を卒業し、磁歪(じわい)という当時の未開拓な分野で業績を上げ内外に注目されました1903年(明治36年)、土星と衛星をかたどった原子模型を提唱したことは、原子核の存在をいち早く予見したもので、のちのラザフォード・ボーアの太陽系原子模型の先駆けをなすものでした。1937年(昭和12年)、第一回文化勲章を受け、1939年(昭和14年)には帝国学士院長となりました。
三浦半島観光地図:1868年・戊辰戦争
Tourist Information & Historic Spot. Hantaro Nagaoka Memorial Hall, Nagasawa, Yokosuka City, Kanagawa, Japan.

写真撮影:2006年04月04日

長岡半太郎

京急長沢駅下車 徒歩15分
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長岡半太郎
長岡半太郎

 1910年(明治43年)ごろ、この地の古い建物を買い、仕事の合間をみて、東京霊岸島から定期蒸気船(法蔵院前あたりに発着所がありました)に乗って訪れ、水泳をしたり、三浦富士に登ったりしたようです。
 1950年(昭和25年)12月、85才で亡くなりました。亡くなる直前まで研究に没頭し、机の上には、大きな物理学の本が開かれたままだったそうです。
 1981年(昭和56年)、生前の功績をしのび、別荘のあったこの場所に記念館が建てられました。別荘の大きさは、長沢橋から堂前川に沿った海側一体の広大な敷地内にあり、クヌギ林、モモ畑、梅林、夏ミカンなどが植えられ、30坪あまりの鳥小屋が2棟もあり、七面鳥、ガチョウ、レグホンなどが飼われ、大きなサボテン温室もあったそうです。

三浦半島の歴史:人物事典・長岡半太郎

写真撮影:2006年04月04日

鬼の机

京急長沢駅下車 徒歩15分
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鬼の机
鬼の机

 こちらは、「鬼の机」という石造りの机です。
 座るとお尻が痛くなる、、、じゃなかった、頭が良くなると巷でうわさの長岡半太郎愛用の机です。写真を撮るのに夢中になっていて、座り忘れてしまいました。次回、訪れた時には、座るだけではなく、寝そべったり、舐めたりしてみようと思います!!
 あっ、いや、やっぱり、舐めるのはやめときます・・・。海の近くだから、塩味がしそうだけど。

写真撮影:2006年04月04日

ネーム入り長岡半太郎旅行鞄

京急長沢駅下車 徒歩15分
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旅行カバン
旅行カバン

 長岡半太郎が用いていた旅行鞄です。旅行鞄というよりも、衣装ケースって感じですね。ちゃんと「H.NAGAOKA」と名前が書かれています。
 ドイツ留学時に使用したのか、海外旅行で使用したのかわかりませんが、世界各地の消印のような、シールのようなものが貼られてありました。当時の荷物用のラベルだったのだと思います。

写真撮影:2006年04月04日

若山牧水

京急長沢駅下車 徒歩15分
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若山牧水
若山牧水

 お笑い芸人のはなわさんと同じ髪型です。久保竜彦にも似ている気がします(^^ゞ。とても小柄な人です。
 明治18年(1885年)8月、宮崎県東臼杵郡東郷町で生まれました。本名は繁です。「牧水」は雅号で、母親の名前マキ(牧)と、牧水が愛した坪谷川の水を合わせたと言われています。
 大正4年(1915年)3月、妻の喜志子の療養のために、東京から北下浦長沢の斎藤松蔵方に転居しました。ここで長女のみさきが生まれました。
 大正5年(1916年)6月、近くの谷重次郎方に転居します。開業医、田辺久衛氏によって妻はめでたく快復しました。
 牧水は月に1回〜2回、浦賀へ行ったり、近所の子供たちと一緒に釣りに行ったり、松輪へ行ったりしていました。しかし、経済的には恵まれず、家族に対する愛情と、仕事への意欲とのはざまで苦悩していたようです。
 旅行とお酒が大好きな人でした。
三浦半島観光地図:横須賀市長沢・若山牧水の歌碑
三浦半島観光地図:人物事典・若山牧水

写真撮影:2006年04月04日

若山牧水住居

京急長沢駅下車 徒歩15分
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若山牧水住居
若山牧水住居

 若山牧水が住んでいた「上のなんや物置」。残念ながら、今は残っていません。詳しい資料がどこかへいってしまったため、「上のなんや物置」がどのあたりなのか、良くわからなくなってしまいました。若山牧水が長沢に住んでいた2年間、2回か3回、住居が変わっているみたいです。
 今では若山牧水といえば教科書にも登場するくらい有名な歌人ですが、長沢に住んでいた頃は、貧乏だったみたいです。シワの寄った和服を着た、パッとしないおじさんだったらしいです。奥さんの喜志子夫人は、背が高くて品の良い感じの女性だったらしいです。
 当時、歌をひとつ作ると、50銭の収入を得ていたようです。良く海岸を散歩して、海を眺めていたそうです。自然を愛する男でもありました。
 あとは、藤里っていう酒屋さんでコップ酒ばかり飲んでいたとか。旅、放浪、酒が好きな人です。まるでマダオだなーとか言わないように!
 旅好きなので、日本各地に歌碑が建てられています。そして酒好きなため、肝硬変で亡くなっています。43歳で亡くなり、静岡県沼津市にお墓があります。
 若山牧水の作品には、長沢・北下浦地区での生活がいくつも登場します。

写真撮影:----年--月--日
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