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港町公園


港町公園

京急汐入駅下車 徒歩数分
地図

 関東大震災の供養塔がある港町公園。
 このあたりの地名、かつては港町と呼ばれていました。

 1923年(大正12年)9月1日、関東大震災が発生しました。
 横須賀市は山や丘陵が多く、関東大震災の際にはいたるところで山津波(やまつなみ)と呼ばれる崖崩れが発生しました。その中でももっとも被害が大きかったのが、横須賀停車場から汐入へと通じる通路にある見晴山(みはらしやま)の崖崩れで、高さ30m、厚さ20m〜30m、長さ440mにもおよぶ大規模なものでした。運悪く通行中だった女学生8人を含む50人が土砂の下敷きとなって亡くなりました。
 1929年(昭和4年)、供養塔が建てられ、同時に関東大震災で亡くなった多くの人のために冥福も祈られました。
 最初は汐入町2丁目1番地に建てられましたが、1936年(昭和11年)に現在地に移設しました。毎年9月1日、地元町内会で供養が続けられています。

三浦半島の歴史:1923年:関東大震災
三浦半島観光地図:横須賀市東逸見町・JR横須賀駅

 『横須賀百年史』には「開港以来60年、市制施行以来20年、戸数は2万ぞ数え人口10万になんなんとする震災時でさえ、市内唯一の幹線道路はわずか3間(5.4m)ないし5間(9m)の幅員に過ぎなかった」とあります。
 1919年(大正8年)に横須賀市に発布された都市計画法の原案を基に、震災後の復興計画が始まりました。スローガンは「自然の暴虐を征服して近代都市横須賀を建設せよ」でした。
 復興会の会長には横須賀市長に内定していた奥宮衛(おくみやまもる)、顧問には代議士の小泉又次郎らが就任しました。10月8日、初会合は深田台の横須賀高等女学校でロウソクの火を囲んで開かれました。
 横須賀駅からの国道は直線にし、途中にあった軍需部は田の浦に移転。平坂下までは15間(27m)の幅員となりました。下町から浦賀・三崎へ、汐入の長源寺坂から中里(現在の上町)へ、汐入から坂本を経て葉山などの道路が整備されました。
 復興と同時に、横須賀市内各地に供養塔が建てられました。港町公園の供養塔も、そのうちのひとつです。


港町公園

京急汐入駅下車 徒歩6分
港町公園
港町公園

 関東大震災の供養塔のある公園、港町公園。
 現在では使われなくなりましたが、このあたりの地名、かつては港町と呼ばれていました。

写真撮影:2016年06月21日

港町公園

京急汐入駅下車 徒歩6分
港町公園
港町公園

 雨上がりの港町公園。
 やっぱり誰もいません。

写真撮影:2016年06月21日

港町公園

京急汐入駅下車 徒歩6分
港町公園
港町公園

 何も意識することなく通り過ぎていた公園。管理もとくにされていないのかなー、夏になるとジャングルのような状態になります(^^ゞ
 でも、公園の奥に石碑が建っていることに気が付きました。しかも意外とデカイ!今までまったく気が付かなかったなー。

写真撮影:2007年05月21日

港町公園

京急汐入駅下車 徒歩6分
港町公園
港町公園

 こちらの遊具、3歳〜12歳用なんだとか。
 43歳の私は、こちらの遊具で遊ぶことは許されないみたいです(^^;)
 許されてても遊ばないけどねー。

写真撮影:2016年06月21日

港町公園

京急汐入駅下車 徒歩6分
港町公園
港町公園

 乗って遊ぶ遊具です。
 港町公園には動物がいなかったので、こんな感じで・・・

写真撮影:2016年06月21日

大震災遭難者供養塔

京急汐入駅下車 徒歩6分
大震災遭難者供養塔
大震災遭難者供養塔

 1929年(昭和4年)に建てられた供養塔です。
 もともとは、もう少しショッパーズプラザ寄りに建てられたようですが、背後の山の掘削工事が行われた後、こちらに移設されたみたいです。
 右側の崖も、がけ崩れ防止のための工事が行われてありました。やっぱり、がけ崩れが起きやすい地形なんですね。

写真撮影:2016年06月21日

大震災遭難者供養塔

京急汐入駅下車 徒歩6分
大震災遭難者供養塔
大震災遭難者供養塔

 近付いて調べてみたら、関東大震災関連の石碑でした。大震災遭難者供養塔という文字が刻まれていました。
 横須賀市内には、関東大震災関連の石碑が非常に多いですね。もし関東大震災に襲われたら、うちはひとたまりもなくペチャンコになっちゃうだろうなー。お金を貯めて耐震補強をするか、宝くじを当てて引っ越すかしないといけないな・・・
 明治22年、横須賀線が開通すると、子之神山下が通路となりました。関東大震災では、市内でも1963名の死者、負傷者が出ました。子之神山でも土砂崩れが起き、ちょうど列車を降りて山際と通行中の50人余りが生き埋めとなってしまいました。

写真撮影:2007年05月21日

大震災遭難者供養塔

京急汐入駅下車 徒歩6分
大震災遭難者供養塔
大震災遭難者供養塔

 前回訪れた時は約9年前、その時とほとんど同じ状態で建っていました。
 立派な供養塔です。

写真撮影:2016年06月21日

大震災遭難者供養塔

京急汐入駅下車 徒歩6分
大震災遭難者供養塔
大震災遭難者供養塔

 大正12年9月1日ノ関東大震災ハ我が国未曾有ノ大惨禍ニシテ一夕ニ十萬ノ精霊ヲ失ヘリ。
 本市モ亦其厄ヲ免レス随所ニ悲惨事ヲ現出シタリ。
 而シテ其最甚シキヲ當所トス。
 茲ニ永ク其諸霊 ヲ弔ハンカ爲ニ齋藤仲藏氏外數氏ノ發願ヲ承繼シ普ク浄財ヲ募リ一萬四千二百三十餘名ノ喜捨ヲ得市費ヲ併セテ本塔ヲ建設シ當市ニ於ケル犠牲者五百十七名ヲ追薦ス
 昭和4年9月1日
 横須賀市長 小栗盛太郎

写真撮影:2016年06月21日

京急汐入駅下車 徒歩6分
穴

 良くわかりませんが、供養塔の背後に穴がありました。地下壕でしょうか。
 かなり奥まで通じているようですが、入ることはできませんでした。
 関東大震災の影響で、鎌倉大仏は1mほど移動し、根府川を走っていた熱海線列車も海に落ち、横須賀港でも、吾妻島の貯油タンクが漏れ、重油8万トンが4時間に渡って燃え続けました。
 炎と黒煙の中でも、ガンドリークレーンだけは無事だったそうです。

写真撮影:2007年05月21日

遭難者の碑

京急汐入駅下車 徒歩6分
遭難者の碑
遭難者の碑

 港町・高女補習科・斉藤静子・17歳
 船越・高女補習科・笠間宏子・18歳
 鎌倉雪下・高女4年・富田ヤス子・17歳
 鎌倉雪下・高女4年・岡本政子・17歳
 船越・高女1年・斉藤八重・14歳
 船越・高女1年・松村キヨ子・14歳
 鎌倉材木座・高女1年・井口佐登・14歳
 鎌倉建長寺境内・高女1年・青島妙子・13歳
 汐留・逸見総学校教員・伊藤俊子・21歳
 小川・野末タカ方・清・24歳
 汐入・高山菊次郎・57歳
 深田・太田文次郎・69歳
 船越・木の下伊勢蔵・35歳
 愛甲郡南毛利村・久島直義・38歳
 汐入・土屋七次郎・70歳
 汐入・内田豊治・62歳
 港町・工藤スエ・29歳
 中里・鳥海萬吉・64歳
 汐入・斉藤平吉・64歳
 汐入・今井徳蔵・72歳
 木古庭・加藤トキ子・45歳
 汐入・佐竹キク子・24歳
 汐入・佐竹数子・3歳
 汐入・牛原リト子・44歳
 千葉県市原郡里見村・田辺喜一郎・31歳
 千葉県市原郡高尾村・斉藤忠次郎・39歳
 初声村三戸・石田浅吉・24歳
 旭町・板倉常一・16歳
 汐入・田中カネ子・62歳
 長井村漆山・原卯之吉・22歳
 駆逐艦矢風・佐藤清助・29歳
 船越・加藤利雄・10歳
 逸見・滝口ヨシ子・40歳
 田浦・三橋武
 田浦・三橋寛
 港町・高橋テル子・10歳
 港町・高橋キヨ子
 公郷・鈴木清次郎
 逸見・曽我キヨ子
 港町・湯川栄一郎
 汐入・矢頭正一
 静岡県・簾野幸作・62歳
 坂本・千葉文子・40歳
 逸見・小池長太郎・38歳
 石渡□□□・不詳
 水野幸作・67歳
 外不明・2名
 港町・鈴木三好・36歳
 港町・鈴木勝義・10歳

写真撮影:2016年06月21日

港町公園

京急汐入駅下車 徒歩6分
港町公園
港町公園

 高台に大震災遭難者供養塔が建てられていて、一段低くなったところに大震遭難追善地蔵尊があります。
 地蔵尊はなぜか、洞窟の中。
 不思議な作り方ですよね。

写真撮影:2016年06月21日

大震遭難追善地蔵尊

京急汐入駅下車 徒歩6分
大震遭難追善地蔵尊
大震遭難追善地蔵尊

震災供養塔移轉並記念閣建設由來
大震災供養塔ハ元國道ニ直面セル港町ノ街衢ニ在リシヲ以テ久シク移轉ノ議アリ本年偶々災禍満十三年ニ當ルヲ機トシテ之レガ實現ヲ期シ同町有志相謀リ震災供養塔移轉並震災紀念閣建設會ヲ起シ委員ヲ擧ゲ資ヲ全市ニ勸募シ山腹ヲ開鑿シ敷地ヲ造成シテ塔ヲ移シ塔下ニ記念閣ヲ建設シ閣内ニ當時ニ回顧スルニ足ル各種ノ資料並市ノ復興ニ參畫セル人士ノ□照等ヲ陳列シ其功勞ヲ永遠に傅フル□□□□塔ハ黄塵到ニサルノ丘阜ニ遷リ閣ハ静寂ノ境地ニ在ル惟フニ記念閣建設ノ地ハ本市ニ於ケル多数殃死者ヲ出セル所ニシテ此ニ之レガ建設ヲ見ル其所ヲ得タリト謂フベシ而シテ之ノ事業ノ達成ハ丘阜所有者佐野茂コ氏ノ特志ト委員横須賀市會議員橋清治港町部會長佐藤勲並鈴木啓三氏等ノ努力ト相場時事新聞社長最上尭雅氏ノ斡旋ニ負フトコロ多シトス仍テ茲ニ記シテ其ノ勞ヲ後ニ誥クト云フ
昭和十一年十一月横須賀市
 読めない・・・(^_^;)

写真撮影:2016年06月21日

大震遭難追善地蔵尊

京急汐入駅下車 徒歩6分
大震遭難追善地蔵尊
大震遭難追善地蔵尊

 大震災遭難者供養塔の下には、仏像が安置されていました。これだけ手厚く供養されているということは、相当な人数の人々が被災したのかもしれないですねー。
 調べてみたところ、この近辺だけでも50名余りの人々が亡くなったそうです。

写真撮影:2007年05月21日

大震遭難追善地蔵尊

京急汐入駅下車 徒歩6分
大震遭難追善地蔵尊
大震遭難追善地蔵尊

 3体のお地蔵さまが安置されています。
 おそらく中央が大震遭難追善地蔵尊になるはずです。
 碑文からすると、この近くに関東大震災の記録を残すための震災記念閣という建物が建てられていたようです。
 しかし残念ながら、老朽化のためか、取り壊されてしまいました。
 お供え、お線香、ロウソクなどもあり、ちゃんと管理されているようです。

写真撮影:2016年06月21日

手水鉢

京急汐入駅下車 徒歩6分
手水鉢
手水鉢

 1923年(大正12年)の手水鉢。
 海軍で奉納されたものみたいです。

写真撮影:2016年06月21日
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