『北条五代記』によれば、背丈は7尺5寸(227センチ)と伝えられています。
新井城での最期の合戦で身に付けた鎧の鉄札の厚さは2分(6センチ)、白樫の丸太を1丈2寸(364センチ)に筒切りにしたものを八角に削り、節金を通して金砕棒にして戦いました。兜の頭上に振り下ろせば、粉々になって胴まで達し、横に払えば一振りで5人〜10人も押し潰したと言われています。
この戦いで討たれた者は、500余名にも上ったと記されています。
鉄板の厚さ6cmは異常な厚さで、通常は1mm程度の厚さしかありません。
しかも、シラカシという樹木の材は非常に密で硬く、重量があります。
脚色されている部分が大きいとは言えますが、怪力の男であったことは間違いないようです。
激しい戦で亡くなった豪傑で、しかも21歳という若さだったため、三浦半島内では三浦義意の伝説も各地に残されています。
討ち取られた後の義意の首は、3年間も生き続けたという伝説もあります。
三浦半島観光地図:横須賀市馬堀町・蹄の井
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