1605年(慶長10年)9月27日、徳川家康の命令によって淡路へ赴き、九鬼長門守守隆、久永源兵衛重勝らと共に、諸大名から500石積以上の軍船をことごとく没収し、江戸湾と駿河湾へ回漕するという任務を果たしています。
1631年(寛永8年)には、徳川秀忠の命令で安宅丸を建造しています。伊豆伊東で建造された大櫓100挺立ての大船で「天下丸」と命名されましたが、軍船の一般名称である安宅船の名がそのまま船名として定着し、「安宅丸」と呼ばれました。推定1700トンと推定され、日本最大の安宅船となりました。領内の三崎で艤装され、1634年(寛永11年)の夏、西国大名に対する権威の象徴として江戸湾に回漕されました。
当時、猿若勘三郎という大音美声の持ち主がおり、三浦の人だと考えられています。彼を安宅丸の舳先に立たせ、拍子船頭に音頭をとらせ、威勢良く乗り入れさせたと言われています。 |