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 蹄の井

馬頭観音堂 京急馬堀海岸駅下車 徒歩12分
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馬頭観音堂
馬頭観音堂
 今回の史跡巡りの目的地のひとつ。走水神社と蹄の井が、史跡巡りの目的地でした。どちらも有名な伝説が残る場所だし、三浦半島では歴史の古い場所でもあるし。スピリチュアルなパワースポット巡りということで。
三浦半島観光地図:横須賀市走水・走水神社
 それ以外の場所に関しては、ほとんど調査せずに行ったので、見付けられなかったり、見逃してしまった場所も多々あります。機会があったら、巡り切れなかった場所を訪れてみたいです。
 馬頭観音を祭る堂宇はかなり前からありましたが、山崩れなどで荒れ果てていました。1959年(昭和34年)、再建しました。
 1985年(昭和60年)、日本瓦の堂宇が消失してしまい、現在の白亜のコンクリート製の堂宇に改築されました。堂内には石造の馬頭観音菩薩が祀られています。
写真撮影:2008年04月02日

馬頭観音堂 京急馬堀海岸駅下車 徒歩12分
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馬頭観音銅
馬頭観音堂
 有名な伝説の残る蹄の井が目的地のひとつだったんですが、辿り着いてみたらビックリ。というより、ガッカリ?
 もっと大きくて立派なものを想像していたんですが、とても小さなものでした。馬の蹄鉄、手綱などが奉納され、競馬の騎手や馬主が必勝祈願に訪れることもあります。
 平安時代末期の元暦(1184年)の頃、現在の千葉県江見町にあたる安房国嶺岡の洞窟に凶暴な暴れ馬がいました。村人はその暴れ馬を「荒潮」と名付け、恐れて近寄りませんでした。しかし次第に畑の作物を荒らすようになり、村人で追い払うことに決めました。村民から追われて逃げ出し、海中に飛び込み浦賀水道を泳ぎ渡り、小原台に着いたと言われています。しかし疲れと喉の渇きのため倒れてしまいます。馬は馬頭観音のお告げに従い、蹄で地面を蹴ると清水が湧き出し、喉を潤すと見事な駿馬にと姿を変えました。この馬は小原台の森に住み付き、村人からは美女鹿毛と呼ばれました。
三浦半島観光地図:千葉県安房郡江見町
三浦半島観光地図:横須賀市小原台
写真撮影:2008年04月02日

蹄の井 京急馬堀海岸駅下車 徒歩12分
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蹄の井
蹄の井
 蹄の井の湧水はどこにあるんだろうと探してみたところ、意外な場所で発見しましたー。この小さな穴の中が、蹄の井でした。
 実は写真では見たことがあるんですよ。その写真を見た時は、洞窟の中に入ると蹄の井があると思っていたんです。この開口部が、洞窟の入り口だと思っていたのですが・・・
 蹄の井から湧き出る水は、百日咳や夜泣きに効くと言われ、東京や横浜方面から、この湧水を求めて訪れる人もいます。
家庭の医学:百日ぜき症候群とは?
 千葉の暴れ馬の伝説から、この場所は「蹄の井」と呼ばれるようになり、この地域が「馬堀」と呼ばれる由来ともなりました。湧き出ている清水は、現在でも枯れることなく湧き出ています。
写真撮影:2008年04月02日

名馬池月の像 京急馬堀海岸駅下車 徒歩12分
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名馬池月の像
名馬池月の像
 名馬とも言うべき「池月」の石像です。大きさは小さくても、躍動感あふれるブロンズ像で、今にも動き出すのではないかと思ってしまいます。
 1990年(平成2年)5月に建てられたものです。
 小原台に住む美女鹿毛の駿馬の噂を聞いた時の領主であり衣笠城主の三浦荒次郎義澄はこの馬を捕獲し、源頼朝に献上され「生月」(月は本当は口へんに妾)と名付けられました。また、「池月」と名付けられたとする資料もありますが、漢字は違えど呼び名はいずれも「いけづき」です。
三浦半島観光地図:横須賀市衣笠町・衣笠城址
人物事典:三浦義意
 すぐ近くにある浄林寺の本堂にも、馬頭観音が祀られています。
三浦半島観光地図:横須賀市馬堀町・浄林寺
写真撮影:2008年04月02日

宇治川合戦の様子 京急馬堀海岸駅下車 徒歩12分
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宇治川合戦の様子
宇治川合戦
 手前が池月を駆る佐々木高綱です。奥に見えるのが磨墨を駆る梶原景季です。
 佐々木高綱の池月、梶原景季の磨墨、どちらも有名な名馬です。日本各地にこの2頭の名馬にまつわる伝説、史跡などが残されています。
 木曽義仲追討の戦いで、佐々木高綱と梶原景季が源頼朝に馬を所望したので、佐々木高綱には「池月」を与え、梶原景季には「磨墨(するすみ)」を与えました。1183年(寿永2年)、宇治川の合戦では、池月を駆る佐々木高綱と、磨墨(するすみ)を駆る梶原景季が先陣争いをし、名声を残すこととなります。
写真撮影:2008年04月02日

蹄の井 京急馬堀海岸駅下車 徒歩12分
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蹄の井
蹄の井
 蹄の井を示す石碑です。なかなか立派な石碑が建てられています。
 石碑には「蹄の井跡」と彫られていますが、跡じゃありませんよ、ちゃんと今でも蹄の井はあります。紛らわしい石碑ですねー(^^;)
 この石碑では、馬の名前は「池月」ではなく、「生○(口へんに妾)」と書かれてあります。「生食」と書いて、「いけずき」と読むこともあります。
 サイトによっては、ちゃんと口へんに妾と書いて表記しているところもあるんだけど、どうやって表示させるんだろう?Windowsのせいかな?
写真撮影:2008年04月02日

湯殿山供養塔 京急馬堀海岸駅下車 徒歩12分
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湯殿山供養塔
湯殿山供養塔
 三浦半島ではとても珍しい石仏津だなーと思い、写真を撮影しました。湯殿山供養塔です。
 三浦半島の民間信仰は、庚申信仰がとても盛んだった代わりに、他の信仰はそれほど盛んではありませんでした。それは三浦半島という島の中で活動する、宗教家の影響によるものだと思われます。
 湯殿山は、山形県にある現在の湯殿山神社。かつては真言宗の寺院で、月光山本道寺と言います。修験道の寺院です。三浦半島でも修験道が行われていたという証拠となる石仏です。
 石仏にも「月山」、「羽黒山」と彫られており、湯殿山と合わせて出羽三山ということになります。
 湯殿山供養塔のすぐ隣には、湯殿山供養塔移築の記念碑が建っています。もともとこの場所にあったわけではなく、馬堀村走水村鴨居村三軒屋と書かれています。三軒屋は昔の字名か旧地名で、現在の横須賀美術館の裏手あたりになると思います。もともとあった場所は現在の防衛大学構内の問答原にあり、この石塔が馬堀と走水の境界線となっていました。
写真撮影:2008年04月02日

馬頭観音 京急馬堀海岸駅下車 徒歩12分
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馬頭観音
馬頭観音
 立ち並ぶ石仏たち。三浦半島ではこうした石仏群のほとんどが、庚申塔になります。
 しかしここ、蹄の井では、名馬池月の伝説が残ることから、馬頭観音の石仏が建てられています。馬頭観音の石仏が1ヶ所にこれだけたくさんあるのは、三浦半島内でもここだけかもしれません。
 確認できたのは7基の馬頭観音がありました。
写真撮影:2008年04月02日

馬頭観音 京急馬堀海岸駅下車 徒歩12分
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馬頭観音
馬頭観音
 たくさん建っている馬頭観音ですが、主尊の彫られている馬頭観音は1基だけでした。他の6基はすべて、文字碑です。
 馬頭観音の特徴は頂上に馬頭を戴く異様な観音像で、憤怒面を持つことも特徴です。馬頭を持つものは、ヒンズー教の最高神のひとつであるビシュヌ神が馬頭に化身して敵を倒したという神話からきたものと考えられています。
 像容は決まっていませんが、4面2臂像では、中央1面が菩薩面、左右が憤怒面、頂上の面の上に馬頭を戴くのが一般的です。
 日本では奈良時代以降に信仰されるようになりましたが、中部地方の山地の路傍に多くみられます。馬背による交通と関係が深いためです。石仏として路傍に建てられる馬頭観音の場合、馬の墓であったり、馬の供養塔、日頃の働きに対してねぎらいの気持ちを込めて建てられた石仏である場合が多いです。
写真撮影:2008年04月02日

馬頭観音 京急馬堀海岸駅下車 徒歩12分
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馬頭観音
馬頭観音
 めずらしい馬頭観音の石仏がありました。馬の名前の彫られた馬頭観音です。馬の名前は「セキホウ号」です。
 馬主が建立した石仏もあるとのことなので、この石仏がそうだと思います。
写真撮影:2008年04月02日
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