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 走湯神社

走湯神社 バス停金田下車 徒歩5分
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走湯神社
走湯神社
 走湯神社と書いて、「そうとうじんじゃ」と読みます。ついつい、「そうゆじんじゃ」と読んでしまいますが・・・
 温泉とか、足湯とかあるのかなーなんて思いましたが、それらしきものは一切ありませんでした。
 この神社は、地元の子供たちの遊び場所になっているみたいです。子供たちの集まる神社というのは良いものですねー。地元の人々に親しまれている神社というのは、とても魅力的です。
写真撮影:2007年08月23日

常夜燈 バス停金田下車 徒歩5分
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常夜燈
常夜燈
 実際に使われいた物かどうかは、わかりません。常夜燈ですが、現在の漢字では常夜灯とした方が一般的でしょうか。
 室内照明についている小さな豆電球も、常夜灯っていいますが・・・(^^;)
 立地的に考えると、実際に使われた常夜灯ではないんじゃないかなー。漁師町なので、船の航海の安全を祈願するために奉納したものではいかなーと思います。石台と、常夜灯との色合いや、大きさのバランスも不自然だし・・・
 もし実際に使われていた物だとすると、漁師さんが場所を計るための目安の光にしていたのかもしれないですねー。
写真撮影:2007年08月23日

狛犬 バス停金田下車 徒歩5分
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狛犬
狛犬
 だっ、だれですか!!狛犬の鼻の穴で爆竹をやった人は!!狛犬の鼻の穴が爆発しちゃうじゃないですか!
 この走湯神社の境内を歩いていると、海のイメージをとても強く受けるんですよ。この狛犬も、毛並みが海の波のような、渦潮のような、そんな巻いて流れるような形をしています。
 見た瞬間にイメージしたのが、海の波でした。
写真撮影:2007年08月23日

狛犬 バス停金田下車 徒歩5分
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狛犬
狛犬
 この狛犬は破損が激しいですね。顔の鼻先が壊れてしまっています。残念ですねぇ〜(TωT)。足元部分も、少し破損しているようです。もう一対の狛犬に比べて、石質が柔らかかったのかな?
 ちょうど歯が生えていたところに、ミノムシがいました(^^;)
 建立は、寛政12年11月とありました。西暦1800年です。源右エ門って人が造ったのかな?
写真撮影:2007年08月23日

走湯神社 バス停金田下車 徒歩5分
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走湯神社
走湯神社
 脇にあったミニ神社。海が近いから、強風ですぐに壊れてしまいそうなほど、簡素な造りではありますが・・・
 本当ならお神輿や太鼓などを入れていたのかもしれないですね。物騒な世の中になったので、もっとちゃんと鍵のかかる場所に移動させたのかなー。
写真撮影:2007年08月23日

走湯神社 バス停金田下車 徒歩5分
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走湯神社
走湯神社
 走湯神社の本殿っていうのかな、拝殿っていうのかな。なかなか立派なもんです。
 走湯神社は、地元では「金田の権現様」と呼ばれているらしいです。実際にそう呼ばれているところを目にしたことはありませんが、資料にそう書いてあるんだもん。たぶん、昔から住んでいる人は「金田の権現様」と呼んでいるんだと思います。
 三峯神社があったことだし、山岳信仰と関連があるのかな?このあたりは、山といえるようなものは皆無ですが・・・
写真撮影:2007年08月23日

走湯神社 バス停金田下車 徒歩5分
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走湯神社
走湯神社
 なかなか風格を感じる造りをしています。海の荒くれ者たちが参拝に来た神社という印象を受けました。
 祭神は天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)です。一般的には、水田などの農耕の神様です。
 1087年(寛治元年)、伊豆国加茂の金田走湯神社から分祀されました。現在の社殿は1925年(大正14年)に改築されたものです。
 毎年、7月20日と、7月21日、夏の例大祭が行われます。屋台が地区内を回り、見せ場では屋台を豪快に引き倒します。屋台にはそれぞれ「五穀豊穣」、「天下泰平」、「国家安泰」、「大漁萬作」、「家内安全」などの願いが込められています。
 3月14日には祈年祭の春祭、10月14日には例祭の新嘗祭、12月14日には秋祭が行われるみたいです。
写真撮影:2007年08月23日

庚申塔 バス停金田下車 徒歩5分
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庚申塔
庚申塔
 走湯神社の入り口には、6基の庚申塔が立ち並んでいました。
 今回の史跡巡りでは、あまりたくさんの庚申塔を見つけることはできませんでしたが、本当はもっとたくさんあると思います。
 農道脇などに立っていると思いますが、今回は歩くのが面倒臭くて探さなかったんですよ(^^;)。夏だったから暑かったし・・・
写真撮影:2007年08月23日

庚申塔 バス停金田下車 徒歩5分
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庚申塔
庚申塔
 もしかしたら、もう二度と金田地区に来ることはないかもしれないと思って、庚申塔の写真を一枚ずつ撮影しておきました。史跡巡りといっても、普段は買い物などのついでがないと行かないので・・・。実はひきこもりだから(^^;)
 主尊は青面金剛ですね。ボクの世代では、アシュラマンに見えます。この青面金剛も、右手に女性をぶらさげています。この女性はショケラって言われています。
 主尊の上には、日月があります。三浦半島で日月が彫られている庚申塔はめずらしいような気がします。自分の知識不足かもしれませんが・・・。金田地区では、ちゃんと日月が掘られている庚申塔が多いようです。
 下には、痛みが激しいのですが三猿です。
 造立は文政七年とあるので、1824年ですね。江戸時代後期かな。
写真撮影:2007年08月23日

庚申塔 バス停金田下車 徒歩5分
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庚申塔
庚申塔
 文字碑です。
 この写真では見えませんが、この庚申塔にも上部に日月が掘られています。非常に彫りが浅いので、見えづらいのですが・・・
 下の方に名前が書いてあって、飯島○右エ門とあります。このあたり、○右エ門さんが多いですねー。江戸時代、農民には苗字がないと言われていますが、庚申塔にはちゃんと苗字が彫られているんですよ。庚申塔を建てるのは一般庶民だし、やはり江戸時代にはすでに苗字があったと考えるのが普通なのかなー。
 あ、でも、この庚申塔には、明治三十五年って書いてある。西暦では1902年です。
写真撮影:2007年08月23日

庚申塔 バス停金田下車 徒歩5分
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庚申塔
庚申塔
 文字碑です。
 庚申供養塔と彫られています。庚申塔には、何を彫るのかといった一定の決まりがないみたいです。都道府県が違うと、かなり変化してくるし。庚申塔でも、庚申供養塔でも、どっちでもいいみたい。
 やっぱり、文字の上部にはちゃんと日月が彫られています。日待ち、月待ち信仰が盛んだったのかなー?漁業と関係があるのかな?
 造立は寛政五年と彫られていました。寛政の改革で有名な、寛政です。西暦1793年で、江戸時代中期かな。
写真撮影:2007年08月23日

庚申塔 バス停金田下車 徒歩5分
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庚申塔
庚申塔
 この庚申塔、リフォームしてありますね。本来あった庚申塔の図柄がわからないので、なんとも言えません・・・
 上から漆喰を塗りなおして、形作ってあるみたいです。もしかしたら、忠実に復元していないかもしれないですねー。主尊の青面金剛が合掌しているし、姿形が整いすぎてるからなー。
写真撮影:2007年08月23日

庚申塔 バス停金田下車 徒歩5分
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庚申塔
庚申塔
 文字碑です。
 青面金剛塔って彫られてあるような気がする。大きな日月が特徴的ですね。
 わかりづらいんですが、下部には三猿が彫られているような気がします。一部が欠けてしまっているのですが、三猿ではないかなーと思うのですが・・・
 造立は寛政十二年と書かれていました。西暦1800年です。江戸時代の中期かな。
 江戸時代前期の庚申塔は、シンプルなデザインが多いようです。江戸時代中期になると、青面金剛が彫られ、豪華な飾りや、さまざまな装飾がなされるようになります。しかし、江戸時代後期になってくると、なぜか文字だけの簡略なものばかりになります。
 ちょうどこのころ、伊能忠敬が蝦夷の測量をしています。
写真撮影:2007年08月23日

庚申塔 バス停金田下車 徒歩5分
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庚申塔
庚申塔
 この庚申塔もリフォームされています。誰がどういった理由で復元したのか、詳しいことはわかりませんが。。。
 この図柄は、代表的な庚申塔の図柄になっていますね。
 主尊は青面金剛です。やっぱり半裸の女性の髪を掴んでいます。青面金剛は疫病と戦って、村を守ってもらうという願いが込められています。半裸の女性は、まさか生け贄に捧げられたのか!?
 上部には日月が描かれています。
 青面金剛が何かを踏みつけているのがわかると思いますが、これは邪鬼です。邪鬼は悪いヤツなんです。祟り神、怨霊、もののけのたぐいです。
 邪鬼の下には、三猿が彫られています。庚申塔というからには、申は欠かせないキャラクターなのでしょう。庚申信仰の説教が、猿との結びつきが強かったのでしょうか。
写真撮影:2007年08月23日

三峯神社 バス停金田下車 徒歩5分
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三峯神社
三峯神社
 境内にはいくつもの石殿が置かれていました。正直なところ、「放置されていた」とか、「投棄されていた」といった印象を受けたのですが(^^;)
 だって、どれもバラバラに置いてあるし、ボロボロだし、統一性がないし・・・
 なぜかひとつだけ、三峯神社と書かれた、少し大きめの石殿がありました。他の地域の神社だったものが、明治時代になって走湯神社に統一されたのかな?
 埼玉県秩父市にある三峰神社から分祀されたものだと思われます。祭神は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と、伊弉册尊(いざなみのみこと)になります。
 このあたりの地域では、三峯講でも開かれていたのかな?
写真撮影:2007年08月23日

石殿 バス停金田下車 徒歩5分
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石殿
石殿
 一番左側は、キツネが置かれているので稲荷でしょう。でも不思議なことに、石造ではなく鉄造なんですよねー。新しいのもなのかな?不思議がいっぱいです。
 中央は、わかりませんが何かの社殿なのでしょうか。風化が激しく、キノコ型になっちゃっています。あと何年かすると、崩れてしまいそう。
 一番右側はぁ〜、テトリス?
写真撮影:2007年08月23日


石殿 バス停金田下車 徒歩5分
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石殿
石殿
 奥にある赤い木造の御社は、稲荷だと思います。屋敷神だったのかもしれませんね。そうでなければ、漁船に祀られていたものだとか。
 手前のものは、比較的、新しいようです。
写真撮影:2007年08月23日


イヌマキ バス停金田下車 徒歩5分
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イヌマキ
イヌマキ
 立派な巨木のイヌマキ。根元には、壊れちゃっていますが石祠があります。このイヌマキの木も、ご神体ということなのでしょうか。
 そして、もう一本、イチョウの巨木があります。イチョウの木は実に立派で大きな木です。イチョウの木の写真は、ベランダ園芸のイチョウの育て方に掲載しておきます。
 どちらも神社やお寺に植栽されることの多い樹木ですね。海風にも負けない、立派な樹形をした巨木です。

身近な植物図鑑:イチョウ科の植物
ベランダ園芸:イチョウの育て方
写真撮影:2007年08月23日
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