三浦市役所などの官庁を中心とし、旧三崎中学校があります。
小田原北条氏の水軍の拠点となっていた三崎城址に、市役所・三崎中学校・三崎小学校などがあります。文化8年からの10年間、相模防衛のために会津藩が陣屋を設けていました。南東の台地の傍らに、在任中に亡くなった会津藩の衛士や家族の墓、27基があります。
馬宮と呼ばれる東部台地は区画整理され、住宅街になっています。また、スダレダと呼ばれる三崎城の空堀跡に、住宅が集中しています。
松くい虫の被害を免れた松の木数十本が、裸のような姿で土塁上に点在しています。
もとは三浦市三崎町六合・三崎町日ノ出の一部でした。
|