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三崎城


三崎城

バス停三崎東岡下車 徒歩7分
地図

 永正年間(1504年〜1520年)、油壺にあった新井城の城主の三浦道寸義同が治めていた三崎城がありました。
 新井城は油壺にあるので、房総半島を望むことができず、当時房総半島一体を支配していた里見氏の軍勢に対応するため築城されたのが三崎城です。
 新井城と三崎城はそれぞれ独立する城だと考えられてきましたが、三浦一族が治めていた当時は新井城の一部だったとも考えられています。後北条氏は三浦半島を覗っていた里見氏に対抗するため、新井城の海側を水軍の拠点として整備し、新井城と三崎城は独立した城となったと考えられています。
人物事典:三浦道寸義同
三浦半島観光地図:三浦市三崎町小網代:新井城

 1516年(永正13年)(1518年とする説もあります)7月、三浦道寸義同が新井城で北条早雲と籠城戦を繰り広げていたころ、養父に当たる時高の弟とされる三浦三郎高信が三崎城を預かていました。出口次郎左衛門尉と名乗って道寸父子を支援したと言われています。
 新井城が落城すると、出口左衛門尉は三富実右衛門、亀崎兵部、鈴木某氏らの同志とともに城を捨てて城ケ島に立て籠もりました。一時、城ケ島のことを「尉ケ島」と呼んでいたのは、このような由来によります。
 のち、北条氏を和議を結び、「三崎十人衆」となって北条氏に従うようになります。

 天文年間(1532年〜1554年)、三崎城は横井氏が城主となっていました。
 1556年(弘治2年)、梶原備前守をはじめ、富永氏、遠山市らは、房総半島の安房から攻め込んできた里見義弘と城ケ島や三崎城で戦いました。
 1565年(永禄8年)3月上旬、北条氏康が三崎や城ケ島の桜の花見をして楽しみました。鎌倉時代のころから、本瑞寺や光念寺あたりには三崎御所が建てられるなどして桜の名所になっていました。1519年(永正16年)には、北条早雲も静養に訪れているようです。
 1569年(永禄12年)、北条氏康の子で北条氏政の弟にあたる北条氏規、大道寺孫九郎が守備し、天正年間中期(1573年〜1585年)には北条氏規が治めていました。1590年(天正18年)には、小田原の役の時は、北条氏規の家老だった山中上野介が留守を守っていました。

 豊臣秀吉による小田原城攻めの際、朝比奈弥太郎が守備に当たりました。小田原城攻めが終わると、廃城となりました。

 1811年(文化8年)〜1821年(文政4年)の10年間、松平容衆が江戸湾防備のためにこの地を守備していました。

 市役所、旧三崎中学校、旧青少年会館などが建っている一帯が、城山と呼ばれていた場所になります。以前は、宝蔵山、北条山、陣屋山などとも呼ばれていました。現在でも土塁の一部を確認することができます。


三崎城

バス停三崎東岡下車 徒歩7分
三崎城
三崎城

 発見しました、三崎城址!
 少しわかりづらい場所にあるので、見付けられないかもって思っていたんですが、無事に見つけることができました。
 三崎城址の存在って、知らない人も多いですよね。

写真撮影:2016年06月27日

三崎城

バス停三崎東岡下車 徒歩7分
三崎城
三崎城

 土塁や空堀などの遺構が、その場所に案内看板があるわけじゃないので、とってもわかりづらいです。
 グーグルマップの航空写真で見ると、少しわかりやすいかもしれません。
 それぞれの箇所に、ポールを建ててくれればわかりやすいんだけどなー。三浦半島で城郭の遺構が見学できる場所って、かなり貴重なので。

写真撮影:2016年06月27日

三崎城

バス停三崎東岡下車 徒歩7分
三崎城
三崎城

 三崎城跡の石碑です。
 わりとシンプルな石碑です。
 三浦市って、文化財をあまり大切にしていないような印象があります。
 観光地化して人を呼ぶには、文化財は大切にしないといけないですよね。

写真撮影:2016年06月27日

三崎城

バス停三崎東岡下車 徒歩7分
三崎城
三崎城

 石碑には「三崎城跡」って刻まれています。

写真撮影:2016年06月27日

案内看板

バス停三崎東岡下車 徒歩7分
案内看板
案内看板

 三崎城跡
 このあたり一帯は城山といい、古城の跡である。
 三崎城は海にのぞみ丘陵に地の利を得、土塁、空堀をいく重にも組み合わせた中世の山城で、築城の年月は不詳であるが永正15年(1518年)7月11日北条早雲に敗れた三浦義同が新井城(油壺)に亡ぶとき、三崎城もまた落城した。その際囲みを破った城兵は城ケ島に逃れなお抵抗をつづけたという。
 その頃、三浦氏は戦国の風雲に乗じ相模一円に領域を拡げていったが、三崎城は三浦一族累代の居城新井城の背後をまもる重要な支城であるとともに水軍の根拠地でもあったといわれている。
 落城の後、北条氏はこの城に五代にわたり兵を置いたことからいまに北条山の地名が残っている。しかし天正18年(1590年)豊臣秀吉に攻められ小田原北条氏の滅亡にともない三崎城は廃城となった。
 三浦市

写真撮影:2016年06月27日

三崎城説明図

バス停三崎東岡下車 徒歩7分
三崎城説明図
三崎城説明図

 三崎城説明図なんですが、何にも見えませんでした(^_^;)
 三崎城の配置図のようなものだったんじゃないのかなって思われる説明版なんですが、真っ白に退色してしまって・・・
 30年ほど前に訪れていれば、見えたのかもしれません。

写真撮影:2016年06月27日
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