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横須賀製鉄所施設案内


横須賀製鉄所施設案内

京急汐入駅下車 徒歩数分
地図
横須賀製鉄所施設案内
横須賀製鉄所施設案内

 横須賀製鉄所のあった場所のほとんどは、アメリカ海軍の軍用地となっているため、自由に立ち入ることができません。年数回のベース開放、日米親善ツアーなど、限られた機会しか見学を許されていないうえ、見学できるエリアは限定されています。
 しかし、明治時代は指定された案内業者や旅館が見学手続きをすることで、簡単に見学をすることができました。
 観光地となっており、日本各地から観光客が集まりました。人々は洋式の大きな機械を見て、驚きの声を上げたのではないでしょうか。当時としては、これほど巨大な鉄の塊が動く姿は、初めて目にするものだったでしょう。
 それぞれの施設の場所がどのあたりにあったのか、御存じの方はご連絡ください。

写真撮影:----年--月--日

明治20年頃の造船所施設紹介

 

造船所表門

 

 表門には、2本の大きな石製の門柱が建てられていました。
 2本の門柱から続く塀は石積みでした。しかも当時としてはとても珍しい、先端がヤリのように加工された鉄製の柵が設けられていました。
 見学に訪れた観光客は、この表門から横須賀製鉄所内に入って見学を行いました。
 ヴェルニー公園にある逸見波止場衛門とは違う門です。

検査掛・警査掛

 

 お巡りさんの詰め所。
 検査掛宿直所、造船所巡査詰所とも呼ばれていました。
 造船所表門前に検査掛として巡査(警察官)が詰めており、造船所へ出入りする人々の用件を聞いたり、見学者が「見学許可証」を持っているかチェックしました。
 検査掛は造船所内の警備も担当していました。

医室・醫室

 

 お医者さん。
 造船所内で負傷したり急病になった職員の治療にあたる軍医が詰めていた場所です。
 このほかにも、工場内の労働環境の改善、職員の健康管理も行っていました。

建築課

 

 横須賀製鉄所そのものの建築。
 建築課には、営繕工場と築造工場がありました。
 この2つの工場で、製鉄所内の建物の修繕、工場の新築工事を担当していました。

黌舎(こうしゃ)

 

 学校。
 造船技術を教えるための高等専門学校です。定員60人で5年間学びます。
 優秀な生徒には、フランスなどへの留学の道が用意されていました。
 建物は132坪あります。

官庁・官廰(かんちょう)

 

 役所。
 造船、機械、艤装(ぎそう)、庶務、計算、記録、製図などの諸科がありました。これらが造船所の各工場の運営、艦船の建造、修理などの計画や、職員人事を担っていました。
 製図所では、艦船の設計図や、さまざまな機械の図面を製作していました。
 レンガ造りの瓦葺き屋根で、352坪あります。

倉庫

 

 艦船の建造や修理に使う木材、金属、建物を建築する資材が保管されていました。
 レンガ造りの瓦葺きで、576坪あります。

鳴鐘(めいしょう)

 

 造船所の作業開始、昼食、終了時刻が一斉に伝わるように、ここに設置されていた鐘が鳴らされました。
 正確な時間に慣らすため、官庁の時計などが使われていました。

構内鉄道

 

 あらゆる物資を大量に運搬するため、構内鉄道のレールが敷かれていました。
 構内鉄道によって、重量物も容易に運ぶことができるようになりました。
 絵図を見ると、ウシがトロッコを引っ張っているようです。

錬鉄所

 

 官庁の製図所で作成された図面や雛型(ひながた)を使って、鉄を鍛錬し、成形する工場です。
 国指定の重要文化財で、ヴェルニー記念館に展示されているスチームハンマー(蒸気槌)は、この工場で使用されていました。造船所見学の見どころのひとつとなっていました。
三浦半島観光地図:横須賀市東逸見町・ヴェルニー記念館
 反射炉も設置されていました。
 レンガ造りの瓦葺きで、752坪ありました。10馬力の蒸気機関を備えていました。

石灰製造所・石灰焼

 

 石灰石を加工して、セメントや漆喰(しっくい)の原料を製造していました。

製罐所・製鑵所(せいかんじょ)

 

 艦船などを動かす動力源となる、ボイラー(蒸気釜)を製作していました。
 金属の曲げ加工を行い、穴をあけ、鋲(びょう)で接着し、削る、これらの加工するため、円棍機械(鉄板を筒状に曲げる機械)、鑽孔機械(穴を開ける機械)、製鋲機械(鋲を打つ機械)などが使われていました。動力には30馬力の蒸気機関が使われていました。
 レンガ造りの瓦葺きで、1010坪ありました。

鉄骨所

 

 鉄製の艦船を建造するため、鉄骨や鉄板を製造する場所。
 鉄を曲げる鉄曲げ機械、鉄骨や鉄板に穴を開ける鑽孔機械などが使われていました。

鎮守府倉庫

 

 海軍艦船が遠洋航海に行くため、燃料や食料を保管していた倉庫。

製帆所(せいはんじょ)

 

 艦船で使用する帆や天幕などを製作していた工場。

信号旗・旗山

 

 山の頂上にあり、横須賀軍港に入港・出港する艦船をチェックし、信号旗で指示を与えていました。

鋳造所(ちゅうぞうしょ)

 

 溶かした鉄や銅を鋳型に流し込み、機械部品を作る場所。
 鉄を溶かすための溶鉄炉、銅を溶かすための溶銅炉、鋳型を作るための捏泥機械、溶かした金属を入れるための坩堝(るつぼ)が使われていました。
 レンガ造りの瓦葺きで、422坪ありました。動力源として、10馬力の蒸気機関が備え付けられていました。

旋盤所(せんばんじょ)、鑪鑿所・鈩サク所(ろさくじょ)

 

 錬鉄所、鋳造所などで製作した部品を完成させる工場。
 工場の天井には、2個の運搬機が取り付けられていて、重い鉄製部品も運ぶことができました。
 レンガ造りの瓦葺きで、752坪ありました。造船所内でもっとも大きな工場でした。動力源として、30馬力の蒸気機関が備え付けられていました。

組立所

 

 旋盤鑪鑿所(せんばんろさくじょ)や製罐所などで製作した部品を組み合わせ、製品を完成させる工場。
 天井には巨大な運搬機が取り付けられ、重量物を上下左右に自由に移動することができました。
 レンガ造りの瓦葺きで、416坪ありました。

物揚機械(ものあげきかい)・グレー

 

 組立所のすぐ隣の岸壁に設置されているクレーン。
 蒸気機関を動力とする、30tクレーンです。
 鎖を使って岸壁から船に機械や荷物を積み込んだり、船から岸壁に荷卸しをしたりしました。

船渠職場・ドック

 

 大・中・小の3個のドックがあります。
 1871年(明治4年)に竣工した一号船渠は、日本で初めて造られたドライドックと言われています。1859年(安政6年)の浦賀ドック(現存せず)、長崎が日本初とする説などもあります。
 船渠は、航海後の艦船の修理を行う施設で、艦船が入ると入り口を閉じて排水ポンプで水を抜き、船底の修理、付着した貝や海藻などの除去作業を行います。
 3基の船渠によって、大型艦〜小型船まで入渠させることができました。
 軍艦だけでなく、民間船や外国船の修理も行ったので、入渠には半年以上も待たされました。
 入り口の開閉、排水ポンプの動力として、蒸気機関11基が設置され、103馬力ありました。

模型所

 

 製図所で作成された図面を使って、機械の木製鋳型を作っていました。
 木を切ったり、削ったり、穴を開けたりなどに、鋸機械(のこぎり)、鉋機械(かんな)、轆轤(ろくろ)、錐機械(きり)などが使われていました。

船台所・造船小屋

 

 大型が3ヶ所、小型が2ヶ所、合計5ヶ所ありました。
 船台はすべて陸地を斜めに海中まで掘り下げ、扉によって海水をせき止めました。
 船台の中は、建造中の艦船が傾かないように盤木(ばんぎ)が置かれていました。艦船の建造中には、船台の周囲に仮小屋を築いて作業を行いました。
 動力として蒸気機関が6基使われ、74馬力ありました。職員は造船所内でもっとも多い約800人が所属していました。

電気灯・電氣燈

 

 行燈(あんどん)のような暗い明かりしかなかった地方の人々は、アーク灯の明るさに驚きました。
 横須賀造船所では、1882年(明治15年)に点灯しました。地図を見ると、電線も確認できます。

製綱所(せいこうじょ)

 

 ロープ工場。
 艦船が使用する大小の綱を製作しました。長い綱を製作するため、製綱所の建物は長大で、長さ270mもありました。
 動力には6馬力の蒸気機関が使用されました。
 漆喰塗りレンガ造りの瓦葺きで、1175坪あり、内部は白壁になっていました。
 製綱所の西側に時計台が設置されており、造船所のシンボルとして人々の目を引きました。3階の上、四方に直径約90cmの円時計が設置されました。文字盤はローマ数字でした。

水溜所

 

 裏門入り口の右側にありました。
 幅6m、長さ60m、深さ2m60cm、切り石とレンガなどで造られていました。
 走水から引いた水道水を溜め、ポンプによって造船所内の諸工場や停泊中の艦船に水を供給しました。
三浦半島観光地図:横須賀市走水・走水水源地

裏門

 

 汐留(しおどめ)通りに面しており、鈴木屋の前。2本の木柱でできていました。
 門に続く塀も鉄塀になっていました。
 見学者は裏門から外に出ます。

電信局

 

 1837年(天保8年)、モールスによって電信機が発明されました。日本にはペリーが献上しています。
 明治7年には、北海道から九州の長崎まで電信網が整備されました。
 明治9年、横須賀電信局


造船所近隣施設

 

電信局

 

 1837年(天保8年)、モールスによって電信機が発明されました。日本にはペリーが献上しています。
 明治7年には、北海道から九州の長崎まで電信網が整備されました。
 明治9年3月20日、横須賀電信局が横須賀造船所表門前(稲岡)に開局しました。これによって、横須賀の市民も電信が利用できるようになりました。

浚渫船・泥渫船

 

 艦船が自由に入港できるように、フランスの泥渫職人が雇われました。
 1867年(慶応3年)、横須賀製鉄所で日本初の浚渫船(手動式バケットドレッジャー)が建造され、横須賀港の維持管理に使われました。
 幕府が輸入した浚渫船は、維新の混乱によって横浜港に係留されたままになっていました。これも横須賀製鉄所で修理し、横浜港の浚渫、日本初の鉄道の工事にも使われました。

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