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三浦半島の自然史1


三浦半島の定義

小さな三浦半島

 

 三浦半島は、首都圏の太平洋側では、房総半島、伊豆半島に次ぐ、小さな半島です。
 相模湾には、もっと小さな真鶴半島がありますが、長さは3キロメートルしかないので、真鶴半島と呼ぶよりも、真鶴岬と呼ぶほうがしっくりくるでしょう。

三浦半島の正確な場所

   三浦半島は、江ノ島の対岸、藤沢市片瀬海岸から、横浜市南部の円海山(えんかいさん、海抜153メートル)の北麓を結び、東京湾側の富岡を結んだ線以南になります。
 地元住民の感覚から言えば、鎌倉アルプスと俗称される北鎌倉から、天台山(海抜141メートル)を通り、朝比奈峠から金沢八景に至る線以南になります。

三浦半島の大きさ

   三浦半島の先端は、城ヶ島が北緯35度08分、基部の北端金沢八景が38度10分になります。この間の直線距離は、約23キロメートルになります。
 三浦半島のもっとも幅の広いところは、直線距離で約16キロメートルになります。東端の観音崎は東経139度45分、西端の葉山町芝崎付近は東経139度34分になります。
 逆にもっとも幅の狭いところは、約8キロメートルになります。

三浦半島の地形

3つに分けられる

 

 三浦半島の地形は、大きく分けて、北帯、中帯、南帯の3つの区域に分けることができます。

北帯

   北帯は、逗子市と横須賀市長浦間の田越川凹地(たごえがわくぼち、JR横須賀線が走っています)以北になります。
 神武寺山、鷹取山(139メートル)がおもな山になります。

中帯はさらに3つに分けられる

   中帯は、横須賀市の相模湾側、小田和湾と、横須賀市の浦賀水道に面した津久井とを結んだ線以北になります。この中帯は、さらに3つの山塊に分けられます。
 

中帯北部

     二子山(207.9メートル)、桜山の山地を含む一帯で、三浦半島の中でももっとも山深く、自然が残されているエリアです。森戸川の源流域はもっとも自然が豊富です。
 森戸川源流の南側、平作川〜下山川が境界線になっています。
 

中帯中部

     三浦半島最高峰の大楠山(241.3メートル)があります。三浦半島で2番目に高い宝金山(ほうきんざん、222メートル)は、戦後のゴルフ場開発のために姿を消してしまい、現在は湘南国際村として生まれ変わりました。
 中帯中部の南側では、長沢、太田和、武を結ぶ断層帯があり、中帯の南部との境界線となっています。
 

中帯南部

     北下浦海岸に迫ってそびえ立つ、武山(200.4メートル)、大塚台(206メートル、砲台山)、富士山(183.4メートル)の3つの山からなっています。海岸近くから、200メートル級の山がそびえ立っています。

南帯

   初声や上宮田に代表される低い平坦地と、半島南部の岩堂山(82.4メートル)を最高峰とする緩やかな台地です。三浦市市域のほとんどを占めています。
 この台地は海抜約50メートルの平坦な土地ですが、その間には深く侵食された谷が発達し、海岸から奥深くにまで侵入しています。沈降して深い入り江となった溺れ谷があります。油壺湾や、小網代湾などは、その代表です。
 南帯の南側は、太平洋に面しており、高さ30メートルほどの断崖が連続しています。その下には、海食台が発達し、海食洞や、いくつかの孤立した岩峰が見られ、奇観をていしています。

三浦半島の島々

 

城ヶ島

     最南端には東西2キロメートル、南北700メートル、標高30メートルの城ヶ島があります。
 三浦半島最大の島で、三崎港の天然の防波堤となっています。1923年(大正12年)、関東大震災の際には、三崎の町を津波から防いでいます。
三浦半島の歴史:1923年・関東大震災関東大震災
 

その他の島

     三浦半島沿岸には、東京湾側には猿島があります。相模湾側には天神島がありますが、現在では陸続きとなっています。
 島らしい島は、以上の3つになるでしょう。
三浦半島の歴史:横須賀市猿島の史跡巡り・観光名所案内猿島
 

あとは岩礁と人工島

     このほかにも、長者ヶ崎の南沖に尾ヶ島、芝崎沖に鮫島、菜島がありますが、いずれも無人の岩礁です。
 鎌倉の由比ガ浜沖には和賀江島がありますが、これは鎌倉時代に人工的に造られた日本最古の築港史跡です。

三浦半島の地質

三浦半島の誕生

 

 三浦半島や房総半島は、太平洋の深海底の太平洋プレート上で誕生したと考えられています。
 誕生した地層がプレートに沿って北へ移動し、プレートが海溝に潜り込むことによって生じる運動エネルギーで、徐々に隆起していきました。そして約50万年前に海上に出て日本列島とつながりました。
 フィリピン海プレートに沿って移動してきた伊豆半島が日本列島に衝突したエネルギーによって、三浦半島は時計回りに回転して現在の位置となりました。
 三浦半島の隆起は現在でも続いています。関東大震災の際にも、城ヶ島周辺の広い範囲で海岸線が数メートル隆起しています。

地層も大きく3つに分けられる

   三浦半島の地質は、単純なようでいて、実は複雑な要素を秘めています。
 三浦半島の成り立ちは、ほとんどの部分が海底での土砂の堆積によってできています。海底火山から噴出した火山灰の活動年代の差から、大きく3つの地層(年代)に区別することができます。

葉山層群、三浦層群、相模層群

   古い順から、葉山層群は2000万年前〜1500万年前、三浦層群は820万年前〜350万年前、相模層群は40万年前〜10万年前に堆積しています。3つの地層には、年代的に大きな隔たりがあります。
 3層の地層は、三浦半島の中央部付近で、上向きに反り返った形になっています。その隆起した部分が、海底で削られ平坦な地形となっています。このため、三浦半島中帯では、葉山層群と、三浦層群とが同じ地表に現れています。
地層事典:葉山層群
地層事典:三浦層群
地層事典:相模層群

活断層

   北武断層、南下浦断層、衣笠断層、武山断層、引橋断層の5つの活断層があります。
 30年以内に活断層で地震が発生する確率は、衣笠・北武断層帯は0%〜3%、武山断層帯は6%〜11%だとか。怖いなぁ・・・

枕状溶岩

   横須賀市平作の平作川の支流のひとつ、越水川の左岸からは、枕状溶岩が発見されています。
 南のフィリピン海プレートに含まれていた岩石で、プレートテクトニクスの理論を実証する証拠となっています。地質的には、4500万年前の嶺岡層(みねおかそう)に属します。

関東ローム層

   三浦市のほとんどを覆うのは、相模層群です。富士火山系の火山灰が地上で堆積し、赤土に覆われているのが特徴です。
 このローム層の上には、昔から農家の人たちから「黒ボク」と呼ばれる真っ黒な土が局地的にみられます。富士火山系火山の火山灰が、地上で堆積し変成したものです。黒ボクは、横須賀市小原台の防衛大学内、城ヶ島などで見られます。
地層事典:関東ローム層

三浦半島の地形

湖沼

 

 三浦半島は狭いので、必然的に河川や湖沼は貧弱になります。自然の湖沼は極めて少なかったようです。
 長い年月に渡る稲作農耕のため、数多くの灌漑用水池が作られました。以外にも湧水が豊富だったため、谷戸の奥を堰き止めたり、平地に用水池が造られました。1990年ごろ、三浦半島には60以上の用水池がありました。
 次第に稲作が行われなくなり、平坦地は都市化され、用水池は潰されたり、公園化されたりしました。そして現在では、三浦半島全体で、池沼は20程度になっています。

河川

   三浦半島でもっとも大きな河川は平作川で、北西〜南東にかけて流れています。水量は十分ですが、洪水対策と、都市化にともなう下水道化によって、生命の営みをする河川としては致命的な打撃を受けました。
 しかし近年では、下水処理の発達により水質も浄化され、コンクリート3面張りながらも、淡水魚の生息数が徐々に増加しています。アユ、ウナギ、ナマズ、アブラハヤ、オイカワ、コイ、カルガモなどが確認されています。それに加えて、ブラックバス、ブルーギル、カダヤシ、ミシシッピーアカミミガメ、カミツキガメなどの外来種も増加しています。
 森戸川や、前田川などでは、部分的に質の良い自然環境を残しています。
身近な魚類図鑑:コイ(鯉)コイ
身近な野鳥図鑑:カルガモ(軽鴨)カルガモ

海岸

   東京湾側の内浦の自然海岸は、ほぼ壊滅状態です。
 下浦(浦賀水道)〜西浦(相模湾側)には、まだ自然度の高い海岸が残っています。
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