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 新丸の内ビルディング

新丸の内ビルディング JR東京駅下車 徒歩3分
 地図
新丸の内ビルディング
新丸の内ビルディング
 東京は都会だなやぁー。天高くそびえるビルヂングがたくさん建ち並んでおるで。どうやって作るだかなー?まるで夢でも見てるかのようだべ。
 通称「新丸ビル」。完全に四角いんですが、新丸ビルなんです。丸ビルっていうなら、丸く造れば良かったのにね。
 超高層ビルの定義っていうのは日本にはないんだけど、高さが100m以上のビルのことを超高層ビルと呼びます。新丸の内ビルディングも高さ100mを大きく超えているので、超高層ビルの仲間になります。
 階数は地上38階、地下4階です。高さは、最高軒高は176.7m、最高部では197.6mになります。
 2007年4月19日に竣工し、4月27日に商業施設フロアの一般開放が始まりました。
 1952年に建設された8階建ての「新丸ノ内ビルヂング」を建て替えたものです。同じ三菱地所の手がけた「丸の内ビルディング」は行幸通りを挟んで向かい側に建っており、1998年から始まった丸の内再開発計画(丸の内マンハッタン計画)では、丸の内オアゾ、東京ビルディングに次ぐ第3の商業施設で、オフィスフロアを備えた複合ビルです。
三浦半島観光地図:東京都千代田区丸の内・行幸通り
三浦半島観光地図:東京都千代田区丸の内・丸の内ビルディング
三浦半島観光地図:東京都千代田区丸の内・丸の内オアゾ
 地下1階〜7階までは物販113店舗、飲食40店舗、合計153店舗の商業施設で、ショッピングゾーンとなっています。専門店街はパサージュって呼ばれていますが、上大岡にもパサージュってありますね。久里浜の商店街にカサージュってあったけど。9階〜37階はオフィスゾーン、9階はビジネスエンパワーメントゾーン、10階は日本創生ビレッジです。
横浜市観光地図:横浜市港南区上大岡西・パサージュ上大岡
横浜市観光地図:横須賀市久里浜・久里浜商店街
 シティグループ証券、SMBC日興証券、三菱UFJリース、日本信号、あらた監査法人、パソナグループ、カーライル・グループ、シンプレクス・インベストメント・アドバイザーズ、日本駐車場開発、東洋エンジニアリングなどの企業が入居しています。
写真撮影:2008年04月06日

新丸の内ビルディング JR東京駅下車 徒歩3分
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新丸の内ビルディング
新丸の内ビルディング
 近付いで上を見上げてみると、あう・・・。首が痛い(^^;)。同じくらいの高さのビルがたくさん建っているので、それほど高さを感じることはなかったんですが。近づいてみると、やっぱり高いですね。
 ビルの上層階はオフィスになっています。下層階に商業施設が入居しています。最上階で働くのって、どんな感じなんだろう。
 新丸の内ビルディングは、東京駅中央口交差点の前にあります。東京駅は出口がたくさんあるんですが、一番近い出口から出れば1分くらいで着いちゃうけど、一番遠い出口から出ると15分以上とかかかるので、徒歩何分かかるのか微妙なところですね。地下道で東京駅と繋がってるし。
 丸の内ビルディング(丸ビル)も、新丸の内ビルディング(新丸ビル)も、三菱地所が所有する建物なので、外観がやや似ています。1890年(明治23年)、丸の内一帯の日本陸軍から払い下げられた土地を三菱財閥が購入したため、三菱グループの建物が多く存在します。購入当時は、草の生い茂っている何もない原野でした。
 設計や所有は三菱地所ですが、施工は竹中工務店です。総事業費は約900億円です。新丸ノ内ビルヂング解体の際、コンクリートや松杭などの廃材をリサイクルする試みが行われました。窓ガラスは手吹きガラスに質感が近いことから、三菱一号館の窓ガラスとして再利用されています。
三浦半島観光地図:東京都千代田区丸の内・三菱一号館
 2010年4月、青森県六ヶ所村の二又風力発電所で発電された「生グリーン電力」を東北電力・東京電力の送電網を通じた託送により導入しています。

写真撮影:2008年04月06日

新丸の内ビルディング JR東京駅下車 徒歩3分
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新丸の内ビルディング
新丸の内ビルディング
 高さもスゴイけど、建物そのものの大きさもスゴイんですよ。東京駅周辺の再開発によって、規模の大きな超高層ビルの建設工事が盛んに行われています。
 新丸ノ内ビルヂングはは地上8階、地下2階で、丸ノ内ビルヂング同様、オフィスビルの低層階をショッピングモールとして一般に開放していました。内部にテナント向けホールがありましたが、後に貸会議室となりました。
 1937年(昭和12年)6月28日、新丸ノ内ビルヂングは三菱地所によって「東京館」という名称でに着工されました。
 1938年(昭和13年)12月、基礎工事が完了した段階で日中戦争に突入し工事を中止。完成していた基礎部分は、戦時中は防火用貯水池として使用され、戦後まもなくはプールや復興用資材の貯木場として使用されました。
 1951年(昭和26年)3月、朝鮮戦争特需によるオフィスビルの需要の急増により、再び着工。
 1952年(昭和27年)11月18日、竣工しました。
 2004年、取り壊され新丸の内ビルディングが建設されます。

写真撮影:2008年04月06日
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