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観音寺跡


観音寺跡

バス停観音崎下車 徒歩7分
地図
観音寺跡
観音寺跡

 この辺り一帯に、かつて観音寺があった場所です。海のすぐそばにあるので、台風の高波とか、地震の津波とか、大丈夫だったのかな?ちょっと天候が荒れるだけで、波を被ってしまいそうな場所にあります。
 山号を仏崎山(ぶつさきさん)といい、逗子市沼間にある曹洞宗の寺、海宝院の末寺になります。本尊は、行基作と伝えられている十一面観音です。大きさは二尺五寸(約75cm)だったと言われています。別名、船守観音と呼ばれていました。
三浦半島観光地図:逗子市沼間・海宝院
 観音崎は、古くは「仏崎」と呼ばれていました。古代の墳墓の横穴古墳が数多く残ることから、仏崎と呼ばれていたのかもしれません。観音崎という地名の由来が、奈良時代の僧侶・行基が航海の安全のために作った十一面観音(船守観音)を海蝕洞窟に納めたことから、「観音崎」と呼ばれるようになりました。

写真撮影:2008年08月15日

観音寺跡

バス停観音崎下車 徒歩7分
観音寺跡
観音寺跡

 お寺らしき建物は、現在は建っていません。観音崎公園の休憩所として使用するような、東屋が建てられています。この場所に本堂があったわけではないと思います。
三浦半島観光地図:横須賀市鴨居・観音崎公園
 始めは小さなお堂でしたが、この辺りに観音堂が創建された江戸時代には、本堂や般若堂などが建ち並び、村人の他にも、漁民や船乗りたちに信仰されてきました。
 1591年(天正19年)、仏崎山(ふだらくさん)観音堂料三石の御朱印をいただいています。
 1601年(慶長6年)、僧の禅尊によって開かれたと言われています。
 1612年(慶長17年)、海宝院の二世の僧である霊屋禅英が中興し、観音寺がさらに立派になったと言われています。
 1880年(明治13年)、観音崎に陸軍砲台が築造されました。
 1881年(明治14年)、観音寺を始め、灯台下の海蝕洞窟に祀られていた鵜羽山権現は、鴨居の亀崎(かめざき)半島の先端に移転しました。
三浦半島観光地図:横須賀市鴨居・権現洞

写真撮影:2008年08月15日

観音寺跡

バス停観音崎下車 徒歩7分
観音寺跡
観音寺跡

 観音寺が建っていた頃の絵図です。本当に海のすぐそば、観音崎の鼻にあります。
 絵図を見ると、観音寺の入り口には鳥居があるのがわかります。堂宇の数も多く、思いのほか、立派な寺院だったと思われます。現在は照葉樹林の木々が生い茂っていますが、江戸時代はクロマツが生えていたみたいですね。岩礁ではなく、砂浜の海岸が描かれているので、地震によって隆起し、砂浜が岩礁に変わったんだと思います。
 観音崎は古くから海上交通安全の使命を負わされており、観音堂の境内には上方の廻船仲間が寄進した灯明台があり、闇夜の浦賀水道を照らしていました。
 東京国立博物館が所蔵する『浦賀道見取絵図』の中に描かれています。

写真撮影:2008年08月15日

観音寺跡

バス停観音崎下車 徒歩7分
観音寺跡
観音寺跡

 観音寺跡の説明看板です。こういった説明看板が立てられていると、歴史を調べやすいのでありがたいです。自分が解説を書かなくても、こちらの解説看板を見てもらえれば一目瞭然なんですよね。
 浦賀行政センター市民協働事業・浦賀探訪くらぶが設置した看板です。
 1986年(昭和61年)10月20日、火災により全焼してしまいました。三浦三十三観音としての札所は、横須賀市吉井の真福寺が代行しています。
三浦半島観光地図:横須賀市吉井・真福寺

写真撮影:2008年08月15日
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