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熊野神社


熊野神社

バス停漆山下車 徒歩5分
地図

 地元では「ごんげんさま」と呼ばれ、親しまれています。長井地区の総鎮守となっています。

 建久年間(1190年〜1199年)、源義経の家臣、鈴木三郎家重の長男・鈴木家長が荒井に移住してきた際、郷里の熊野権現を勧請したのが始まりと伝えられています。

 また、伝説ではありますが・・・
 凶作が続いたある年の7月15日、荒井の三郎崎の磯にご神体が漂着して、漁民に救いを求めました。それを助けた漁師は、凶作で自分も食べる物が足りないような状態でしたが、なんとかして麦のエマシ(大麦を煮てさらしたもの)を探し求め、これに麦焦がしをまぶしたものを食べさせ、とりあえずの空腹をしのいでもらいました。
 その縁から、のちに伊勢の熊野三郎という人物が訪れ、熊野権現を勧請したと伝えられています。

 漂着した神様にエマシ麦を献じたのは、荒井で屋号・ゴエム家の先祖だったと言われ、7月15日の祭礼で湯立て神楽の湯を沸かす役は、代々ゴエム家が勤めてきました。
 また、故事にならって、15日には神社にエマシ麦を備える風習がありました。

 長井は昔から一本釣り漁師が多い地区で、漁船がカツオやマグロなどの大型魚を持ち帰るときは、熊野神社の前まで船を回し、「ツォ権現さま」と唱えて魚のホシ(心臓)をひとつ、海中に投げ入れて権現様に献じました。
 「オブリ」といって、今でも行っている漁師さんもいるようです。
 正月の初出の際には、沖へ向かう前に熊野神社の前で船を3回まわして、海中にお神酒を献じてから沖へと向かいます。
 漁師さんにとっては、厚い信仰のある神社です。

 かつて、数年に一度の大例祭が行われたとき、山車が出たり、船祭りと呼ばれる神輿の海上渡御が行われました。
 各町内が協力して行い、権現様の神輿と神主が乗るお召し船は、漆山、番場、新宿、仮屋ヶ崎、屋形、荒井の地区からクジ引きで決められました。お召し船を務める家が決まると、船主の家ではおめでたいこととして赤飯を炊いて祝いました。舟唄衆が乗る御座船は、荒井からと決まっていました。
三浦半島観光地図:横須賀市長井:漆山公会堂
三浦半島観光地図:横須賀市長井:新宿町内会
 海上渡御は、熊野の神が漂着したと伝えられる荒井の三郎崎から出発し、榊神輿(さかきみこし)の船を先頭にして、舟唄衆が乗り込んでいる御座船、神輿船、山車の船と続き、一列になって亀城暗礁を大きく回って大木根の海岸まで渡りました。
 海上渡御になくてはならない舟唄は、荒井の若い衆が歌うことになっていて、16歳になると半強制的に習わされました。大祭の年には、正月頃から仕事が終わると猛練習をしていました。この舟唄は三社丸舟唄(さんじゃまるふなうた)とも呼ばれ、熊野三社権現に由来しています。

 社殿正面の石段の脇に刻銘があり、石坂は四日市の干物問屋、江戸日本橋の魚問屋仲間が寄進していることがわかります。
 石造の鳥居は、江戸へ運ぶ途中の石船が、亀城暗礁(かめぎあんしょう)で座礁し、その捨て石が寄進されたものだと伝えられています。

 「列婦 浦島千代の碑」と彫られた石塔があります。
 浦島千代は北原白秋、前田夕暮らが藤家という旅館に宿泊したこともあり、その宿屋の女将が浦島千代です。男らしく強気な侠気の親分肌だった女性です。
 太平洋戦争中、海軍の将兵たちの面倒をよく見ていたことから、彼女の死後、戦後になってから世話になった人々によって建てられたものです。
人物事典:北原白秋


熊野神社

バス停漆山下車 徒歩5分
熊野神社
熊野神社

 立派な石垣ですねー、3段になっていて、石の積み方が違うので、それぞれ異なる時代に積み上げられたのかも。
 津波・高波対策かもしれません。

写真撮影:2016年06月11日

熊野神社

バス停漆山下車 徒歩5分
熊野神社
熊野神社

 立派な鳥居です。
 この鳥居が、亀城暗礁(かめぎあんしょう)で座礁した船の捨て石のようです。
 捨て石にしては、立派ですねー。
 きっと、伊豆の石だと思います。

写真撮影:2016年06月11日

拝殿

バス停漆山下車 徒歩5分
拝殿
拝殿

 境内はとても静かでした。
 京都や鎌倉と違って、横須賀市内で史跡めぐりをする人は限られているので、どこの神社に行っても静かな神社なんだけどさ。
 お祭りが行われているときは、もちろん賑わっているけれど。
 私はこういった場所でボーっとしたりすると、とても気分が落ち着きます。
 長井の熊野神社は、オーシャンビューでいいところです(^^)

写真撮影:2016年06月11日

拝殿

バス停漆山下車 徒歩5分
拝殿
拝殿

 立派な注連縄が張られていました。
 訪れる人の少ない神社ではありますが、厚く信仰されている神社だなっていう雰囲気がそこかしこにありました。
 そこかしこって、どこかだって?
 頑張って探してください!!きっと、気が付くと思います。

写真撮影:2016年06月11日

軒裏

バス停漆山下車 徒歩5分
軒裏
軒裏

 なんとなく、神社・寺院の軒裏を見るのが好きなんです(^_^;)
 垂木(たるき)が並んでいる軒裏天井が好きなんですよー。ちょっと変わってるかもしれないけど。
 熊野神社は彫刻も立派でした。
 多数の千社札も張られているので、多くの人が訪れていることが分かります。

写真撮影:2016年06月11日

軒裏

バス停漆山下車 徒歩5分
軒裏
軒裏

 ちょっと変わった角度から写真を撮ってみました。
 普通はあまり見ることのない裏側からの写真です。

写真撮影:2016年06月11日

熊野神社

バス停漆山下車 徒歩5分
熊野神社
熊野神社

 内部を見ることができたので、ちょこっとだけ写真を撮らせてもらいました。
 なかなか見る機会のない神聖な場所なので、緊張してドキドキしてしまいます。
 拝殿内部にも千社札が張られていました。
 内部に張るのは、う〜ん、どうなんだろう・・・。許可が得られているなら問題ないと思いますが、やはり外に張るのが良い気がします。

写真撮影:2016年06月11日

狛犬

バス停漆山下車 徒歩5分
狛犬
狛犬

 口元がとってもかわいい狛犬です!!
 この狛犬は、実はスターなんですよ。
 ヤクルトのCMに出演した狛犬なんですよ。
 横須賀なんだから、ベイスターズだろって?
 そっ、そんなこと言われてもぉ〜・・・

写真撮影:2016年06月11日

狛犬

バス停漆山下車 徒歩5分
狛犬
狛犬

 垂れ耳なところ、かわいいですよねー。
 天保4年(1833年)6月吉日
 西浦賀 細工人 真吉
 願主 日本橋小田原町 尾張屋善三郎
 世話人 東町 仮屋ヶ崎中
 現住 覚禅代
 東町や仮屋ヶ崎はわかりますが、日本橋まで!!
 尾張屋は魚介類を扱っている問屋あたりになるんじゃないでしょうか。
 200年ほど前になりますが、今でもあるのかな?

写真撮影:2016年06月11日

長井町飴屋踊り

バス停漆山下車 徒歩5分
長井町飴屋踊り
長井町飴屋踊り

 横須賀市指定民俗文化財
 長井町飴屋踊り
 昭和49年6月1日指定
 長井町の新宿地区に江戸時代末期ごろ安房上総より伝えられたという踊りである。
 この踊りは、粉屋踊り、万作踊りとも呼ばれ、かつては関東一円にあったといわれ、頭に丸い板台を乗せ、太鼓を叩きながら面白おかしく飴を売っていた飴売りのしぐさを、地域の人が自分たちの踊りに採り入れたものといわれている。
 踊りは、若衆にいよって演じられるのが一般的で、地域の祭礼や祝い事のたびに幾番にもわたって演じられてきていたが、戦後一時期途絶え昭和48年頃から小中学生の女子が踊り手になり復活した。
 お年寄りのはやしに合わせ、手に傘を持ったあねさんかぶりの少女たちが演じる素朴な郷土芸能である、
 踊りには手踊り(みんながそろいの手振りで踊る)と段物(せりふが入り物語風の踊り)の二種類あり、演目は「ねんねこ踊り」「白枡粉屋」など二十種類ある。
 平成4年3月
 横須賀市教育委員会
三浦半島観光地図:横須賀市長井:新宿町内会館

写真撮影:2016年06月11日

烈婦浦島千代の碑

バス停漆山下車 徒歩5分
烈婦浦島千代の碑
烈婦浦島千代の碑

 これが女主人だった浦島千代の石碑です。
 多くの海軍将校たちに慕われていた女性のようです。
 きっと、現代でいうところの美人女将なんですよね。

写真撮影:2016年06月11日

熊野神社

バス停漆山下車 徒歩5分
熊野神社
熊野神社

 小さなお社。
 あとで写真をじっくり見ていて気が付いたんですが、お社の横に銘板みたいなのがありました。
 たぶん、奉納した人が書かれたものだと思いますが、じっくり調べておけばよかったです。

写真撮影:2016年06月11日

熊野神社

バス停漆山下車 徒歩5分
熊野神社
熊野神社

 漆山漁港から見た、熊野神社の様子です。
三浦半島観光地図:横須賀市長井:漆山漁港
 鳥居と石垣があり、神社の後ろには社業林が茂っています。
 大きなアンテナが見えるんですが、携帯電話のアンテナでしょうか。

写真撮影:2016年06月11日
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