1853年(嘉永6年)のペリー来航をきっかけに、日本は開国の道を進みますが、ペリー来航後の幕府の外交や軍事力の弱さを実感した小栗上野介は、横須賀製鉄所の建設を決意しました。
この小栗の計画にフランスからの協力が得られ、フランス人技師ヴェルニーが日本に招かれました。この二人の尽力によって、横須賀製鉄所は、江戸時代末期の1865年(慶応元年)に起工されました。2015年(平成27年)には、創設から150年目を迎えました。
三浦半島観光地図:横須賀製鉄所
日本近代化の先駆けとなた横須賀製鉄所は、明治になって横須賀造船所と名前を改め、1903年(明治36年)には横須賀海軍工廠となりました。
1905年(明治38年)、日本海海戦を勝利に導いた戦艦三笠は、イギリスからの輸入でした。
それからわずか15年後、日本は世界初の41cm砲を搭載した戦艦を作る技術を築き上げました。それが、1920年(大正9年)に呉海軍工廠で建造された戦艦長門と、1921年(大正10年)に横須賀海軍工廠で建造された戦艦陸奥です。
陸奥の1/100模型は、船の科学館が所蔵していたものを好意によって「陸奥の会」が借用し、横須賀市の協力を得て展示しています。
里帰りを計画している主砲は、後部4番砲塔の1門です。
太平洋戦争末期、原因不明の爆発事故によって瀬戸内海柱島沖に沈没しました。戦後になって陸奥の引き上げが行われ、船の科学館に展示されていました。
三浦半島観光地図:横須賀市汐入町:ヴェルニー公園
黒船で浦賀に上陸したペリー提督は、『ペルリ提督日本遠征記』で、「日本人が一度文明世界の過去および現在の技能を所有したならば強力な競争者として将来の機械工業の成功を目指す競争者に加わるだろう」と記されています。
戦艦陸奥(1/100)
基準排水量:39050t
全長:224.94m
馬力:82000馬力
1934年(昭和9年)〜1936年(昭和11年)に行われた近代化のための大改装後の姿を再現した模型です。
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