小川町の歴史
横須賀市の行政の中心地で、市役所や警察署など、多くの公共施設が立ち並び、官庁街となっています。横須賀市街の中心地ですが、公共機関が多いため、商業施設は少なめです。住宅地ではありませんが、路地に入ると住宅があります。戦後、稲岡町と小川町の間の入江が埋め立てられ、マンションが建てられました。
諏訪小学校、常葉中学校があります。ノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊は、諏訪小学校の卒業生です。
明治12年からの海面埋立によって作られた町です。
明治15年には横須賀町小川町となり、明治40年には横須賀市小川、大正13年には横須賀市小川町となりました。昭和24年、一部が大滝町となり、大滝町・若松町の一部を編入しました。昭和50年、一部が新港町となりました。
地名の由来
明治15年に誕生した地名です。埋め立ての中心となっていた三浦郡大津村出身の地方行政官だった小川茂周(おがわしげちか)の名前にちなんで名付けられた地名です。
小川茂周は1848年(嘉永元年)に名主見習いとなり、次いで大津村名主、農兵世話役、三浦郡大総代、大津村戸長などを歴任後、1878年(明治11年)に初代三浦郡長になりました。
就任以来20年、郡下の行政、道路の開設、河川橋梁の補修整備、米軍基地となっている白浜の埋め立て、そこに入船場を新設するなどしました。また、三浦郡教育会を設置し、教育の充実、教員の優遇、児童就学の奨励なども行いました。
1898年(明治31年)には足柄下郡長になり、1902年(明治35年)に68歳で亡くなりました。従五位に叙せられています。
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