平成町の海風公園から見た猿島です。見る方向が違うと、見える形も随分違いますねー。京急の電車内から見える猿島の形も、だいたいこんな感じじゃないかな?
黒船がしきりに来航する1847年(弘化4年)、幕府が海防のためにこの島に台場として、3つの砲台を設けました。
それ以来、1884年(明治17年)、陸軍の砲台が設置され、その後も第二次世界大戦が終了するまで要塞地帯となり、立ち入りも禁止されていました。
戦後になり、公園として公開され開放されました。
昭和23年の発掘以来、島の山頂部から縄文式土器片が、北側の崖の中腹にある洞穴からは弥生式土器片、貝殻、魚や鳥や獣の骨などが発見されています。焚き火をしていた薄い灰の層も見付かっており、原始時代にここに人が住んでいたことが確認されています。
横須賀市三春町にある春日神社は、旧久郷村の鎮守で猿島にありましたが、1884年陸軍の砲台建造によって久郷村に移され、1909年に現在地に移されました。
三浦半島の歴史:横須賀市平成町・うみかぜ公園 |
写真撮影:2007年02月16日 |
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