右側は細い道。地図で確認すると、先は行き止まりになっているようです。
巨福呂坂切通しができたことにより、山ノ内に建長寺や円覚寺が建てられました。
巨福呂坂という名称は、建長寺の山号巨福山からつけられたといわれていますが、鎌倉時代の文献には記載されていません。室町時代初期の『太平記』の鎌倉合戦事の記事に初めて記載されています。
『吾妻鏡』の1235年(嘉禎元年)、四境祭の記事に小袋、『一遍聖絵』の1282年(弘安5年)、一遍らが通ろうとした「こふくろさか」が、巨福呂坂切通しかどうか定かではありません。
切通しは7つあり、極楽寺坂切通し、大仏切通し、化粧坂切通し、亀ヶ谷切通し、巨福呂坂切通し、朝夷奈切通し、名越切通しがあります。
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