昔、この井戸から鉄の観音像の首が掘り出されました。1258年(正嘉2年)正月17日の真夜中、安達城介泰盛(あだちじょうのすけやすもり)の住む甘縄(あまなわ・現在の長谷)のあたりから火が出ました。これが南風にあおられて、薬師堂の後ろの山を越えて、扇ガ谷(おうぎがやつ)の寿福寺(じゅふくじ)から窟小路(いわやこうじ)に沿って新清水寺(しんきよみずでら)、窟堂(いわやどう)、鶴岡八幡宮の若宮・宝蔵・別当坊などを焼いてしまいました。
三浦半島観光地図:鎌倉市雪ノ下・鶴岡八幡宮
その時、新清水寺にあった鉄の観音像も焼かれてしまい、土の中に埋まりました。
掘り出された観音像は小さなお堂に祀られていましたが、明治時代になって東京の人形町にある大観音寺に移され本尊となっています。
|