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風景・景色


京急三崎口駅下車 徒歩数分
地図
畑

 三戸には、畑が良く似合います。
 三戸といえばやっぱり、海と畑でしょう。
 畑はたくさんありましたが、かかしは見付かりませんでした。畑といえばやっぱり、かかしでしょう。そして、かかしといえば、写輪眼でしょう。コピー忍者のカカシの異名を持つほど、有名なので・・・
 あっ、あれ?どっかで脱線したぞ。
 陸路での交通の便が悪く、他の村から離れた場所に集落が発達しました。三戸村は、北の里、上の里、谷戸の里、神田の里の4つの里からなります。

写真撮影:2008年10月04日

京急三崎口駅下車 徒歩数分
地図
畑

 一面に広がる大根畑です。
 三浦市の大根なので、三浦大根だと思うでしょ?でも実際には、ほとんどが青首大根です。99%が青首大根で、残りの1%が三浦大根といった程度でしょうか。もっと少ないかもしれない。
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 ほとんど作られなくなってしまった、三浦の特産品、三浦大根。ところが最近になって、味の良さから、注目されるようになってきました。今後は、三浦大根人気が復活して、作られる数が増えていくんじゃないかなーと予想しています。
 1811年(文政4年)と文政年間(1818年〜1830年)に書かれた前田家文書の村明細帳によると、反別五六反余、うち田二四町余、畑三二町五反余とあります。三崎町、城ヶ島、小坪村(現在の逗子市)、房州(現在の千葉県)で、薪や松葉を、灰や下肥と取り替え、肥料としました。海藻類も肥料として利用されていました。
 村内には、馬が約40頭いて、耕作の手伝いをしていました。農作物は大麦、小麦、大豆、粟、稗、大根、薩摩芋です。

写真撮影:2008年10月04日

京急三崎口駅下車 徒歩数分
地図
畑

 見渡す限りの畑です。
 まるで、砂漠の中を永遠と歩かされているような、そんな錯覚さえ起こしてしまいそうなほど、畑が広がっています。
 綺麗に耕されて、整地されています。これから、何を植えるのかな。今の時期だと、大根かキャベツになると思います。どちらも、三浦の名産野菜です。
 農業のあいまに、男性は日雇いで漁を行ったり、女性は木綿織や海藻取りをしていました。このことから、半農半漁の村であったことがわかります。
 半農半漁だからといって、貧しい生活をしていたとは限りません。三浦半島のほとんどの地域では、1人で農業も漁業も行っている場合が多いです。ひとつの仕事に集中していない分、多くの収入は得られませんでしたが、飢饉などの被害は少なかったと言われています。今風に言えば、ローリスク・ローリターンな生活だったと言えます。

写真撮影:2008年10月04日

京急三崎口駅下車 徒歩数分
地図
畑

 あっ、自分の影が映ってしまった。このくらいなら、まあいっか。
 ネットがかけられていますが、大根が植えられています。ここの畑も、一面に広がる大根畑です。秋に植えて、冬に収穫するんだと思います。
 三浦の新しい特産品として、だいこん焼酎もあります。三浦大根を使って作られた焼酎です。三浦市内の酒屋さんで、売られています。
 三浦ブランドなんですが、作っているのは福岡県だったりします。三浦半島では、お酒を作っている会社はないみたいです。
 三浦古尋録では、戸数百戸余、水野右近の知行地で、石高は364石。天保郷帳でも、石高は364石となっています。新編相模国風土記稿では、戸数九六戸とあります。
 だいたい、100軒前後の家があったことがうかがえます。

写真撮影:2008年10月04日

土蔵

京急三崎口駅下車 徒歩数分
地図
土蔵
土蔵

 とても立派な蔵を発見しました。歩きながら感じたことなんですが、三戸には蔵が多いなーって気がしたのですが。三浦半島でも、以前はもっとたくさんの蔵が建てられていたと思うのですが、現存する蔵は、かなり少なくなってきています。
 蔵が建っているということは、江戸時代から続く集落であることを証明しています。蔵の中には、お宝が眠っているかもしれません!!
 三浦半島で土蔵を建てることができたのは、商人と、村役人を務めた上層農民だけです。
 土蔵の普請が始まると木挽(こびき、今でいう製材業者のこと)がノコギリを持って山に入り、木を切り取ってきます。黒鍬(くろくわ、今でいう土方のこと)が土を運んできます。石工(いしく)は、石を切り出してきます。こうした準備に、3ヶ月〜4ヶ月ほどかかります。
 地形(じぎょう)といって、蔵を建てる地面を慣らして、固める作業は10人ほどで行って、2日間かかります。地形が終わると、柱立(はしらたて)が行われ、翌日には棟上げです。
 その間にも家主は、あら打ちに使用する竹、俵の上かわなどを取り寄せます。
 あら打ち、上塗りが行われます。太い角材を組んで、丸竹をシュロ縄で編んだ上に、幾重にも壁土を塗り、白漆喰で仕上げます。
 5ヶ月〜6ヶ月で土蔵が完成します。土蔵の普請には、黒鍬10人、木挽7人、石工27人、大工109人、左官35人、瓦屋5人という、たくさんの職人が共同作業を行います。この他、近所の人も手伝います。そのため、土蔵を作るには、かなりの財力が必要な大変な作業になります。

写真撮影:2008年10月04日

土蔵

京急三崎口駅下車 徒歩数分
地図
土蔵
土蔵

 とても重厚な造りをした窓がありました。もしかしたら、お金持ちの名家かもしれない。
 土蔵は、防火、防湿などの機能に優れた倉庫建築です。蔵の外周は、土で厚さ1尺(約30cm)以上もある壁で塗り固め、窓や出入口には、土戸を設置します。
 蔵内部は2階になっていて、1階には家財道具などを収納し、2階には穀類などの食料品を収納するのが一般的です。
 三浦半島で土蔵がたくさん造られたのは、浦賀地区と、三崎地区になります。

写真撮影:2008年10月04日

看板

京急三崎口駅下車 徒歩数分
地図
看板
看板

 三戸で発見した、謎の看板。
 名称が書かれていないので、何の看板なのかわからないんだけど。ちょこちょこと、いろんなところで同じ看板を発見しました。どっちに行けば何があるのか、良くわからないんですよ。
 もしかして、勝手に立てた看板で、名前を書くと、撤去されちゃうのかな?
 三戸では、マリンスポーツ・マリンレジャーが盛んなので、そういったものの看板なんじゃないかなーと思います。

写真撮影:2008年10月04日

バス停

京急三崎口駅下車 徒歩数分
地図
バス停
バス停

 切ないバス停の写真。
 神田入り口というバス停です。神田というのは、旧地名だと思います。いわゆる小字(こあざ)ってやつですね。
 畑の中に、ポツンと立っているバス停。バスの本数は、1日2本かー。しかも、朝の7時40分のバスは、スクールバスって書いてあるから、一般の人は乗れないみたい。実質的には、1日1本ってコトになりますねー。
 三戸では、人家からやや離れた場所が、バス通りになっています。人家の多い海岸付近は、バスが通っていません。折り返す場所が確保できなかったのが、原因かもしれないです。三崎口駅まで歩くのって、ちょっと距離があって大変ですね。

写真撮影:2008年10月04日
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