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錦島三太夫の墓


錦島三太夫の墓

京急三浦海岸駅下車 徒歩20分
地図
錦島三太夫の墓
錦島三太夫の墓

 ファミリーマート半次三浦店のすぐ隣、バス停半次下車、徒歩0分です。何度も前を通っていたんですが、気にしたことなかったためか、気が付かなかったんですよねー。
 相撲という言葉は、「相舞」。つまり神霊を相手に、人間が相舞した事に基づくと言われています。やがて相舞は変化し、人間同士が神前で立ち向かう相撲へと変化していきました。このようなことから、日本の国技である相撲は神事から発達したと言われいます。
 三浦半島でも祭礼などで、若者が中心となり行われる「三浦相撲」と呼ばれる草相撲がありました。三浦相撲の起源は定かではありませんが、江戸時代には半島各地の祭礼で奉納相撲が行われていました。
 『新編相模国風土記稿』には、7月26日に横須賀村の諏訪神社、7月27日に大津村の諏訪神社、8月18日に下宮田の若宮社で、神事相撲が行われたと記録されています。
三浦半島観光地図:横須賀市緑が丘・諏訪神社
三浦半島観光地図:横須賀市大津町・諏訪神社
三浦半島観光地図:三浦市初声町下宮田・若宮神社
 江戸時代にはすでに、職業力士が江戸で組織され、興行相撲が行われていました。三浦相撲は江戸の職業力士団のひとつである錦島部屋と深い関係を持っていました。錦島部屋は、現在の時津風一門かな?

写真撮影:2008年02月29日

錦島三太夫の墓

京急三浦海岸駅下車 徒歩20分
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錦島三太夫の墓
錦島三太夫の墓

 そういえば、すでに他界した祖父も、痩せてのに相撲をやっていたみたいなんですよ。若い頃の力士姿の写真が残っていたんですよ、自分の知っている祖父はシワシワのヨボヨボだったんですが、相撲の写真は体格が良くて立派だったなー。
 錦島三太夫の墓は、三浦半島内に2基存在します。錦島部屋の年寄だった三太夫を供養するため、門弟でもあった三浦相撲の力士達が建立しました。
 この写真の墓は、1793年(寛政5年)に亡くなった錦島部屋の年寄三太夫を供養するため、1802年(享和元年)、三浦郡をはじめ、鎌倉や藤沢などの素人相撲の力士達によって建立されました。
 もう1基は横須賀市長坂の祖母神社前にあり、1868年(明治元年)に亡くなった四代目年寄三太夫の供養のため、没後五十年忌にあたる1913年(大正2年)、三浦半島の門弟連によって建立されました。横須賀市長井の井尻の安西家出身で、現在でも土俵開きに使われた御幣が残されています。
三浦半島観光地図:横須賀市長坂・祖母神社
 三浦相撲の近代になってからの隆盛期は、明治30年代〜大正時代初期にかけてで、旧家などに保存されている番付や化粧まわしなどから垣間見ることができます。
 横須賀市太田和にある旧家では、1897年(明治30年)8月15日・16日の両日、小田和橋際(現在の武山駐屯地正門前あたり)で三浦相撲が興行された時の番付表が残っています。これによると、三浦方と東京方の力士名が書かれ、三浦方の力士たちが東京の力士達に立ち向かうようになっていました。三浦方の番付は、大関に浜錦・白浪、関脇に綾浪、前頭に若柳・一ツ石・島勇・和田ノ浦・島ノ森・綾錦などの名があります。
三浦半島観光地図:横須賀市御幸浜・陸上自衛隊武山駐屯地
 このころ三浦相撲は毎年定期的に開催され、興行場所も決まっていました。5月25日に佐原の太子さまの興行を皮切りに、7月30日は堀之内の春日神社、8月15日に金谷の大明寺、阿部倉、8月27日に大津、8月29日に不入斗、8月30日に木古庭、9月8日に葉山の森戸、9月10日に浦郷、9月18日に下宮田、9月21日に長坂の祖母神社というスケジュールでした。
三浦半島観光地図:横須賀市長井
三浦半島観光地図:横須賀市佐原
三浦半島観光地図:横須賀市三春町・春日神社
三浦半島観光地図:横須賀市衣笠栄町・大明寺
三浦半島観光地図:横須賀市衣笠栄町
三浦半島観光地図:横須賀市阿部倉
三浦半島観光地図:横須賀市大津町
三浦半島観光地図:横須賀市不入斗町
三浦半島観光地図:葉山町木古庭
三浦半島観光地図:葉山町木古庭
三浦半島観光地図:葉山町堀内・森戸神社
三浦半島観光地図:横須賀市浦郷町
 この間に、衣笠公園、浦賀でも興行されたり、房州、藤沢の遊行寺、富岡、伊勢原、山北などに遠征したりしています。
三浦半島観光地図:横須賀市小矢部・衣笠山公園
三浦半島観光地図:横須賀市東浦賀・八雲神社

写真撮影:2008年02月29日

錦島三太夫の墓

京急三浦海岸駅下車 徒歩20分
地図
錦島三太夫の墓
錦島三太夫の墓

 非常に危険な場所に建っているため、写真撮影が難しいです。写真を撮ろうと思うと、どうしても車道に身体が出てしまって危険(>_<)
 明治時代後期から大正にかけて活躍した綾浪という力士がいます。佐島出身の綾浪は48歳まで大関をつとめた強い力士で、近代三浦相撲の功労者です。綾浪が全盛期のころ、本場所の二段目に入ったばかりの谷の川と二度対戦しています。結果は1勝1敗でした。
 戦争によって中断された三浦相撲は、戦後は昔日の隆盛を見ることなく衰退していき、現在に至ります。9月18日に若宮神社で、奉納相撲が行われています。現在は子供相撲です。
三浦半島観光地図:三浦市初声町下宮田・若宮神社
 大正時代から昭和初期にかけ、三浦相撲で活躍した力士に下宮田出身の高勇がいました。高勇の本名は鈴木敬次といい、半次店の人でした。高勇は約90kgの砂俵を持ち上げる力持ちで、暗闇の引橋で出会った怪しい男を沢に投げ飛ばした武勇伝を持ちます。下宮田の若宮神社の奉納相撲では、人気力士として活躍しました。

写真撮影:2008年02月29日
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