横須賀市の日本遺産認定を記念して日本遺産WEEKが開催され、構成文化財の特別公開が行われました。
公開が行われたのは旧横須賀鎮守府司令長官官舎(海上自衛隊横須賀地方総監部田戸台分庁舎)、旧逸見浄水場、千代ケ崎砲台跡、走水低砲台、猿島公園です。
それに合わせて、ショッパーズプラザ横須賀の2階で日本遺産パネル展が行われました。
日時は2016年10月22日(土)〜2016年10月30日(日)。各日9:00〜21:00です。
1884年(明治17年)に鎮守府が置かれた横須賀は、海軍の街として独自の発展を遂げつつ、日本の近代化を力強く推進してきました。
昭和20年の終戦によって軍港都市としての基盤を失ったのち、いち早く旧軍施設の平和産業への転換を図りました。昭和25年6月に公布施行された「旧軍港市転換法」によって、平和産業港湾都市として新制横須賀の再建に向かって本格的な歩みをスタートさせます。
横須賀の持つ自然・歴史・文化・国際性などの地域貢献を活用し、共生・交流・創造を町造りの基本的な考え方として、2025年を目標に「国際海の手文化都市」を実現するため、魅力的な町造りが進められています。
呉は山と島々に囲まれた広島県南西部のまち。「東洋一の軍港」として栄えた呉は、日本の海軍工廠の街でもあり、現在でも戦艦大和建造の地として知られています。
明治22年に呉鎮守府が置かれ、明治36年に呉海軍工廠が設立され、瀬戸内海に位置して防御に堅く、海軍第一の造船所と位置付けられて全国から技術者が集められました。技手養成所をはじめ、工員教育が盛んに行われ、ものづくりの専門家たちが養成されました。呉工廠の高い技術力は、世界最大の戦艦大和の建造によって集大成を迎えました。
終戦による海軍の解体後、平和産業港湾都市への転換を目指し、積極的に旧軍用財産の転活用を図って復興を遂げました。海軍工廠時代の施設の中には現在も稼働している施設もあり、その技術は造船を中心としたものづくりの街として息づいています。
佐世保は日本本土最西端、九州の北西端に位置します。烏帽子岳や将冠岳などの山系が連なり、臨海部はリアス式海岸で、大小の島々が複雑に織りなす九十九島を擁する西海国立公園が広がります。
佐世保港は湾口が狭く奥行きの広い天然の良港で、明治22年に海軍鎮守府が設置され、人口が急増して村から市へと発展しました。
第二次世界大戦では市中心部は壊滅的な被害を受け、昭和23年に佐世保港が西日本で戦後初となる貿易港の指定を受けました。昭和25年に施行された旧軍港市転換法によって平和産業港湾都市への歩みを進め、造船業などを中心に発展しました。西海国立公園九十九島、ハウステンボスなど、九州を代表する観光資源を持った観光都市として知られています。
舞鶴は京都府の北東部に位置します。市内中央にある舞鶴港は若狭湾に面した天然の良港で、入り江と岬が美しく交差したリアス式海岸で若狭湾国定公園に指定されています。
1901年(明治34年)、日本海の守りの拠点として舞鶴鎮守府が置かれました。当時の最新技術を駆使して、海軍工廠や港湾施設が整備されました。舞鶴の人口は急増し、碁盤の目状に新市街が形成されていきます。東舞鶴の通りには、当時の軍艦の三笠や敷島などの名前が付けられ、軍港都市の歴史は現在にも伝わっています。
鎮守府や艦船に水を供給していた水道施設、人員や物資輸送のための鉄道などの近代化遺産が点在します。北吸地区に残る明治時代〜大正時代建造の赤レンガ倉庫は、現存12棟のうち8棟が国の重要文化財に指定されており、平成24年には舞鶴赤れんがパークとして整備されました。
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