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浦賀ドック


浦賀ドック

京急浦賀駅下車 徒歩10分
地図
浦賀ドック
浦賀ドック

 浦賀ドックの写真です。
 浦賀生協の正面にある入り口です。たぶんココがメインの正門になるんだと思います。
 正面に見える大きな建物が機関工場になります。
 すでに閉鎖されていますが、写真を撮りに行った時は、人の出入りはあるみたいでした。
三浦半島観光地図:横須賀市浦賀:咸臨丸フェスティバル

写真撮影:2009年04月13日

浦賀ドック

京急浦賀駅下車 徒歩10分
浦賀ドック
浦賀ドック

 昭和52年市政施行70周年記念
 横須賀風物百選
 浦賀造船所
 浦賀港を囲むこの施設は、住友重機械工業株式会社追浜造船所浦賀工場です。
 創業以来、浦賀船渠株式会社、浦賀重工株式会社、更には現在の社名と変わりましたが、広く「浦賀ドック」の愛称で呼ばれてきました。
 この造船所は、明治27年、当時農商務大臣であった榎本武揚などの提唱により、陸軍要塞砲兵幹部練習所の敷地及び民有地を取得して設立準備を進め、翌30年6月21日の会社設立登記をもって発足したものです。資本金は100万円でした。
 そのころの日本は、日清戦争などの影響もあって、外国から多くの艦船を買い入れ、世界的な強国に発展しようとしていました。一方造船会は、技術面や設備面で大きく立ち遅れていました。その遅れを取り戻すため、外国人技師を雇い入れて国内各地に次々と造船所を造っていきました。この造船所もその中の一つで、ドイツ人技師ボーケルを月給約150円で雇いドックを築きました。
 明治35年10月15日、フィリピンの沿岸警備用砲艦ロンブロン号(350排水トン)を進水させました。創業以来手がけてきた船は、いずれも国内の企業から受注した工業用運搬船のたぐいばかりでしたが、14隻目に初めて外国から受注した本格派の艦船を世に送り出しました。
 この浦賀造船所で建造した艦船は、戦前・戦後を通じて約1000隻にのぼります。現在もなお技術革新の旗手として、新しい船を造り続け、造船の浦賀の象徴として、今もなお地元市民に基盤を置いています。

写真撮影:2009年04月13日

浦賀ドック

京急浦賀駅下車 徒歩10分
浦賀ドック
浦賀ドック

 浦賀ドックの写真です。
 クレーン同様、建物も老朽化が進んでいるので、次々と取り壊されてしまっています。
 なんとか保存できないのかなって思っています。歴史的な遺産で、市民にとっては大切な遺産でもあるし。

写真撮影:2009年04月13日

タワークレーン

京急浦賀駅下車 徒歩10分
浦賀ドック
浦賀ドック

 浦賀ドックの象徴的存在、タワークレーン。
 浦賀ドックが現役だったころにはたくさんのクレーンがあったんですが、今では1基だけ。
 しかも、クレーンのアーム部分は取り除かれてしまいました。

写真撮影:2009年04月13日

タワークレーン

京急浦賀駅下車 徒歩10分
浦賀ドック
浦賀ドック

 1943年(昭和18年)に製造されたものです。
 クレーンの頭部は、切断されて地上に置かれています。

写真撮影:2009年04月13日

タワークレーン

京急浦賀駅下車 徒歩10分
浦賀ドック
浦賀ドック

 役目を終えてたたずんでいるタワークレーンです。
 ともに働いてきた仲間たちは解体されてしまい、なんだか寂しそうにポツーンとしています。
 ガンダムとどっちが背が高いかな?

写真撮影:2009年04月13日

タワークレーン

京急浦賀駅下車 徒歩10分
浦賀ドック
浦賀ドック

 歴史を感じさせるクレーンですね。
 クレーンのオペレーターは、お弁当を持って操縦室まで行って、就業時間まで降りてくることはなかったなんて言われています。

写真撮影:2009年04月13日

ジブクレーン

京急浦賀駅下車 徒歩10分
浦賀ドック
浦賀ドック

 こちらは小型のクレーンです。錆びているところが、良い味を出しています。
 1945年(昭和20年)に製造されたものです。
 このクレーンの後ろに移っている建物が、機関工場です。船舶の内燃機関などを取り外して修理を行います。大正時代に作られた天井走行クレーンがあるみたいです。鉄骨の柱は、リベット打ちで接合されています。

写真撮影:2009年04月13日

浦賀ドック

京急浦賀駅下車 徒歩10分
浦賀ドック
浦賀ドック

 浦賀ドックの写真です。なんていう建物なんだろう・・・
 浦賀のドライドックは、1899年(明治32年)に完成しています。日本には2基しか作られなかった珍しいレンガ造りのドライドックで、形態をそのまま残しているのは唯一になります。
 もう一つの川間ドックは、ゲートが解放されて海と一体になっています。耐久性の問題から、海水に浸かり続けていると傷んでしまうんじゃないかなと思います。
 大きさは長さ180m、幅20m、深さ11mで、修理専用ドックです。レンガの積み方はフランドル積みで、およそ215万個のレンガが使われています。
 ドックゲートは、多くが船扉方式ですが、ココでは前倒式になっています。
 扉を閉じたら、ポンプで海水を排出します。

写真撮影:2009年04月13日

浦賀ドック

京急浦賀駅下車 徒歩10分
浦賀ドック
浦賀ドック

 何の建物かわからないので、時間があったら図書館に行って調べてみます。
 浦賀と造船所の歴史は古く、1853年(嘉永6年)に幕府が大船建造禁止令を解除して、浦賀に造船所が開設されたことに始まります。外国に対抗する形で、大慌てで和洋折衷な鳳凰丸を造ったりしていました。
 その後、農商務大臣の榎本武揚らの提唱によって浦賀船渠株式会社が設立されました。
 1897年(明治30年)、浦賀船渠株式会社が正式に設立されました。
 1899年(明治32年)、ドライドックが建造されました。
 1962年(昭和37年)、浦賀玉島ディーゼル工業株式会社と合併して、浦賀重工業株式会社に改称されました。
 1969年(昭和44年)、住友機械工業株式会社と合併して、住友重機械工業株式会社が設立されました。
 2003年(平成15年)、浦賀工場は閉鎖されました。

写真撮影:2009年04月13日

浦賀ドック

京急浦賀駅下車 徒歩10分
浦賀ドック
浦賀ドック

 浦賀ドックの内部、年に数回、見学することができるみたいです。
 イベントや見学会などが行われているみたいです。
 老朽化によって施設は次々と取り壊されているので、行くなら早めに行くのがいいんじゃないかなて思います。

写真撮影:2009年04月13日

浦賀ドック

京急浦賀駅下車 徒歩10分
浦賀ドック
浦賀ドック

 浦賀ドックの写真です。
 1891年(明治24年)、中島三郎助の23回忌に愛宕山に招魂碑が建てられました。その除幕式に、函館で共に戦った戦友の荒井郁之助が造船所建設を提案し、同じく戦友の榎本武揚もその場で賛同し、浦賀ドック建設計画が立ち上がりました。
三浦半島観光地図:横須賀市西浦賀:愛宕山公園
人物事典:荒井郁之助
人物事典:中島三郎助
 中島三郎助の菩提を弔うために造られた造船所です。造船に深くかかわり、この国の未来を考えていた中島三郎助にとっては、それ一番だろうと考えたのでしょう。
 そして熱い情熱を持って戦った戦友とは、ただの同志以上の特別な感情があったのかもしれません。

写真撮影:2009年04月13日
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