|
長谷寺 |
●長谷寺
正式名称は海光山慈照院長谷寺といいます。通称は「長谷観音」、または「長谷寺」。海光山の由来は長井の海から観音像が光を放っていたため、海の見える地にあるためともいわれます。
寺伝によれば開山は736年(天平8年)と伝えられていますが、はっきりしたことはわかっていません。梵鐘には「文永元年(1264年)」の銘があることから、鎌倉時代には栄えていたようです。足利氏や徳川家からも信仰され、江戸時代には坂東三十三所観音霊場のひとつとして、江戸や近くの街からも人々が訪れました。
大和の長谷寺の開山、徳道上人が開いたと伝えられています。
●観音堂
1986年(昭和61年)に完成した鉄筋のお堂で、台座も入れると高さ12mにもなる観音像を安置するために作りました。
本尊は高さ9.1mの十一面観音像で、木造のものとしては日本で一番大きなものです。
720年(養老4年)、徳道という有名な僧侶が立派な観音像を造りたいと考えていました。諸国修行の際、大和国(現在の奈良県)の初瀬山(はつせやま)に差し掛かると、山奥から良い香りがしてきたので近寄ってみると、大きなクスノキから香りが出ていました。徳道はこの木を観音像を造るためのご神木と定め、庵を作って21日間の祈りを捧げました。ある日、右大臣藤原房前(ふじわらふささき)が狩りに訪れて見聞し、元正天皇(げんしょうてんのう)にこのことを伝えました。元正天王は観音像を造る費用を送り、当時の名工・稽文会(けいもんえ)と稽首勲(けいしゅくん)に観音像を造らせました。二人はクスノキを2つに切り、2体の十一面観音を作りました。片方は初瀬町の長谷寺に祀り、もう片方は縁のある地に行って民衆を救ってくれるようにと願い海に流しました。
16年後、相模国三浦の初声の長井に流れ着き、当地に移して徳道上人を迎えて寺を開き、本尊として祀りました。
左手に蓮華を挿した花瓶を持ち、右手に錫杖を持つ姿は、歩いて人々を救うことを表しています。頭上にある十一面の仏は、前・左・右の各三面と頂上と後、それぞれに表情が異なり、さまざまな人の願いを聞き、救いを与えることを表しています。1991年(平成3年)、金色に輝く光背が作られました。
●阿弥陀堂
かつて長谷にあった誓願寺の本尊だったと言われる高さ2.8mの阿弥陀如来坐像です。手指の組み方は、人差し指と親指を結んで、上品上生の印相を示します。極楽浄土にいる仏様といわれ、天蓋(てんがい)の下に坐した高貴な姿をしています。
源頼朝が42歳の厄除けに造らせたと伝えられていますが、実際にはもっと後の時代に造られたものと考えられます。後年、「厄除け阿弥陀」と称され信仰を集めていました。
鎌倉六阿弥陀のひとつに数えられています。
●稲荷社・かきがら神社
観音像の渡海縁起にまつわる伝承では、海中を漂流していた観音像にはカキ殻が付着し、カキ殻の導きによって長井浦へと流れ着いたとされています。
当初の祭神は荒神だったと伝えられていますが、後年、稲荷社として再興され、牡蠣殻をお祭りしました。
観音像が漂着した6月18日が縁日と定められています。信者の方々が奉納した赤い幟旗が目立ちます。
●鐘楼・梵鐘
1264年(文永元年)の銘を持つ梵鐘は、鎌倉では常楽寺、建長寺に次いで三番目に古い物になります。また、「長谷寺」の寺号が確認できる最古の什宝であることから、観音ミュージアムで保管展示されています。
現在の梵鐘は1984年(昭和59年)に造られたもので、歌人・佐々木幸綱の短歌が寄せられています。
●観音ミュージアム
3つの展示空間で構成され、長谷寺に伝わる貴重な品々の展示、映像室などがあります。通常の参拝では近付くことのできない観音像の顔も見ることができます。
高さ約2mある板碑は、一枚の石板に仏像や種子(しゅじ)という仏教上の文字を彫った供養塔です。宝篋印塔陽刻板碑(ほうきょういんとうようこくいたひ)は高さ2.64mあり、観音堂の建て替え時に土中から発見されたもので、1308年(徳治3年)の年号が刻まれています。
長さ約1.5mの絵馬は、神社や寺院に願い事をするときに納めていた馬に代わって、馬の絵を描くように変わっていったものです。やがて、さまざまな絵や文字を書くようになりました。1646年(正保3年)の銘があり、浮き彫りにした馬が描かれています。
室町時代の銘がある鰐口(わにぐち)は、銅製で直径89cmあります。鈴を平たくしたような形をしており、軒下に吊るして綱を張って振り鳴らしてお参りしました。
梵鐘は高さ167cm、口径90cmあり、1264年(文永元年)、物部季重(もののべすえしげ)の作で、「新長谷寺」の文字が確認できます。
境内から出土した古銭は、15世紀〜16世紀に使われていた宋銭です。
六面の懸け仏(かけぼとけ)は、一番古い物は1326年(嘉暦元年)の銘があります。観音が33のさまざまな姿に変えています。
大黒天像は神奈川県内最古のもので、1412年(応永19年)の銘があります。もともとは、大黒天はインドでの戦の神として怖い顔をしていましたが、日本では宝物や福を与える神様としてにこやかな顔をしています。右手に槌(つち)を持ち、左手に大きな袋を持って、徳俵(とくだわら)という米俵を踏んで立っています。
三猿の大絵馬、当麻曼荼羅(たいままんだら)、長谷寺縁起などがあります。
●海光庵
窓一面に広がるのは由比ガ浜の大パノラマ。木目を基調とした開放的な店内で憩いのひと時を楽しめます。精進料理の教えを元に作られた食事、疲れを癒す甘味や飲み物があります。
●The Origins of Kamakura's Hasedera Temple
According to the legend, in 721 AD the pious monk Tokudo Shonin
discovered a sacred large camphor tree near the villege of Hase
in the Nara region. He commissioned two sculptors named Keimon-e
and Keishukun, to carve tro eleven-headed Kannon statues. The
stature carved from the lower part of the trunk was enshrined
in Hasedera Temple in Nara and the statue from the upper half
was thrown into the sea with a prayer that it would reappear
to save the people.
Fifteen years later, in 736 on the night of June 18th, it washed
ashore at the Nagai Beach on the Miura Peninsula not far from
Kamakura, sending out rays of light in the process. The statue
was then brought to Kamakura and a temple was constructed to
honor it.
Since the old days, Hasedera Temple has been commonly known
as "Hase Kannon", also known as the 4th station among
the thirty-three pilgrimage sites dedicated to Kannon in the
Kanto area.
●Kannon-do Hall
The magnificent statue of Hase Kannon is housed here for all
to see and worship. It is 9.18 meters (30.1 ft.) tall and this
makes it one of the largest wooden Buddhist statues in Japan.
It has eleven heads in addition to its main one: three on the
front, the right, the left, one at the top and another on the
back. Each face has a different expression, signifying that
the Kannon listens to the wishes of all types of people and
leads them away from distress.
Although Kannon is usually described in English as "the
Buddhist Goddess of Mercy", strictly speaking it is neither
masculine nor feminine. Kannon is a future Buddha, destined
for enlightenment, who has vowed to save all sensitive beings
and represents compassion, mercy and love.
●Amida-do Hall
Nest to Kannon-do, there is a building where the golden seated
statue of Amida Nyorai, one of the Kamakura's six principal
statues of Amida Buddha, is enshrined. It measures 2.8 meters
(9.2 ft) in height, not including its large halo. This statue
was originally placed to be the principal statue of Hase Seiganji
Temple (wich no longer exists). According to the legend, In
1194, Minamoto no Yoritomo, who was the first shogun of the
Kamakura Shogunate of Japan, commissioned the statue for warding
off evil. In later years people came to believe it would expel
evil spirits and offer protection ageinst misfortune.
●Inari-sha (Kakigara Inari)
The enshrined deity was initially dedicated to "Kojin"
(the god of the cooking stove and fire). However, the shrine
was rebranded as Inari-sha in later years. According to the
legend surrounding the history of Kannon statue, it appeared
floating on the sea, drifting ashore by the guidance of "kakigara"
(oyster shells) attached to the statue. This Inari-sha was established
to enshrine the Kakigara and to receive the divine guidance
of Kannon. The Goennichi festival is held on the May 18th every
year, the day Kannon statue drifted ashore.
●Shoro Belfry
To the right of Amida-do, there is a massive bronze bell. The
belfry was constructed in 1955 and the current bell was cast
in 1984. The original bell which was casted in 1264 (currently
exhibited in the museum) is the oldest artifact where the title
of Hasedera can be recognized. It is the third oldest bell among
Kamakura's Temples.
Following the Buddhist tradition, the bell is rung 108 times
around midnight on New Year's Eve to dispel the 108 sufferings
of humanity. This ritual is called Joya no Kane.
●Kannon Museum
The museum consists of three exhibition spaces that exhibit
the valued treasures of Hasedera Temple, passed down from generation
to generation. It is introduced via video projector and digital
captions which can be used to see the face of the Kannon up
close. The museum is set to offer a full "divine favor
by Kannon" experience.
Open hours, 9:00 AM to 4:30 PM (last entry at 4:00 PM). Closed,
Please check the schedule on the website. Admission fees, \300
(Adults, 12 and over), \150 (Children).
●Kaikoan
Visitors will be able to see panoramic views of the Yuigahama
beach. Please enjoy the view and relax at our spacious restaurant.
We serve meals and refreshments such as curry, pasta, Udon-noodles,
sweets and drinks. Our vegetarian dishes are prepared in the
buddhist manner.
Open from 10:00 Am to 4:00 PM. Kitchen closes at 3:00 PM.
長谷寺|鎌倉市長谷
- 三浦半島観光地図
朱印|長谷寺|鎌倉市長谷
- 三浦半島観光地図
和み地蔵・良縁地蔵|長谷寺|鎌倉市長谷
- 三浦半島観光地図
地蔵堂|長谷寺|鎌倉市長谷
- 三浦半島観光地図
経蔵・輪転蔵|長谷寺|鎌倉市長谷
- 三浦半島観光地図
大黒堂・弁天堂|長谷寺|鎌倉市長谷
- 三浦半島観光地図
弁天窟|長谷寺|鎌倉市長谷
- 三浦半島観光地図
紅葉|長谷寺|鎌倉市長谷
- 三浦半島観光地図
紅葉ライトアップ|長谷寺|鎌倉市長谷
- 三浦半島観光地図
横須賀市長井
- 三浦半島観光地図
江ノ電長谷駅下車 徒歩4分 |
|
|
|
長谷寺写真 |
長谷寺の山門です。
以前は通れたと思うのですが、現在は山門をくぐって境内に入ることはできないみたいです。
私が訪れた時、山門前にあるクロマツの選定作業を行うための高所作業車が入っていたので、普段はどうなっているのか良くわからないです。
こちらは観音堂の隣りに建っている阿弥陀堂です。
長谷寺では十一面観音がメインで、阿弥陀如来はオマケ的存在となっています。
阿弥陀如来は写真撮影OKみたいです。
金ピカで綺麗でした。特に光背はピッカピカに光り輝いていました。
ここが観音堂です。
とても立派な建物になっています。阿弥陀堂や観音堂が建ち並ぶ姿を見ると、立派すぎて圧倒されてしまいます。鎌倉らしからぬ立派さです。
本尊の観音像は写真撮影禁止みたいなので、残念ながら写真は撮れませんでした。こっそり撮っちゃってもいいんだけど、こっそり撮ったものをホームページにアップしたら盗撮したのがバレてしまうし(^^;)
入らなかったのでわかりませんが、たぶん観音ミュージアムになっているんだと思います。以前は観音ミュージアムじゃなくて宝物館って呼ばれていたはずです。
いずれ、一度くらいは入ってみようかな。
カラフルなお線香です。ちょっと太めです。
花粉症のある人にとっては、お線香の煙って苦手かもしれないですねー。私は喘息があるので、花粉症じゃないけど苦手です。ちょっとだけなら、良い香りなんだけどね。
牡蠣殻神社です。
貝殻が大好きな私にとっては、長谷寺の中で一番テンションが上がったエリアです。でも、私以外に見ている人は誰もいませんでした(^^;)
カキの貝殻ならたくさんあるし、もっと綺麗な貝殻もたくさんあるんですが、持ってきたものに願い事を書いて奉納してもダメなのかな?いちよね、カキ殻も有料なんですよ。
梵鐘と鐘楼です。
大みそかには除夜の鐘が鳴り響くようです。
毎日、夕方にも鐘を突くのかな?
いかに美しい音色を奏でるか、突き方で変わってくるのかな?たぶん、煩悩と実際の音色は関係がないんだと思います。
石仏群です。
境内にはいろんな石仏が建てられていますので、見付けたらチェックしてみるのも面白いんじゃないかなって思います。
和み地蔵や良縁地蔵以外にも、いろんなのがいますよー。
レストラン&カフェになっている海光庵です。
精進料理が食べられるのかな、私はどちらかっていうと牛丼の方が好きかも・・・(^^;)
お寺だから、お酒とか肉とかのメニューはないかもしれないです。 |
|
|
|
|
|