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鎌倉市長谷


鎌倉市長谷の歴史

長谷の歴史

 三浦半島の基部、由比ヶ浜のほぼ中央部に位置しています。北へ向かって谷地が入り組んでいます。笛田との境界に鎌倉七口のひとつ、大仏切通しがあります。稲瀬川(美奈能瀬川)は、上流部は暗渠化しており、国道と主要地方道の交差点から南東流し相模湾にそそぎます。
 由比ガ浜大通りと通称される国道134号が通り、国道沿いには商店が並びます。長谷寺や大仏の門前町の様相と、古い住宅街が混在し、奥に入ると落ち着いた雰囲気が漂っています。鎌倉消防署長谷出張所、長谷子供会館、鎌倉長谷郵便局、吉屋信子記念館、稲瀬川保育園、長谷幼稚園、鎌倉病院、長谷駅、鎌倉ホテル・ハーフムーンビーチホテルなどがあります。
 奈良時代の横穴古墳があります。単立長谷寺、日蓮宗光則寺、大仏のある浄土宗高徳寺、甘縄神明宮、川端康成記念館があります。記念館には浦上玉堂筆の紙本墨画凍雲篩雪図などが収蔵されています。加賀前田家の子孫が所有していた前田別邸は、佐藤元総理の別荘として使われ、昭和60年から鎌倉文学館となっています。
 元弘3年12月29日の足利尊氏充行状の押紙に「相模国山内庄内長谷郷事」とあります。

 江戸時代、相模国鎌倉郡の長谷村になります。
 寛永10年、元禄10年、幕末ともに長谷寺領と幕府領でした。
 村高は、『元禄郷帳』、『天保郷帳』、『旧高旧領』では、ともに146石余と永2貫文です。
 浄土宗長谷寺(長谷観音堂)の開山は徳道、開基は藤原房則、天保8年の創建と伝えられています。天正19年の徳川家康寄進状写によれば永2貫文、慶長12年家康は伊奈忠次を奉行に堂宇を再建し、天保2年老中酒井忠勝が採集福をしています。坂東巡礼第4番目の札所で、江戸時代を通じて多数の参詣者を招きました。
 『新編相模』では、江戸から13里、東西5町・南北7町余、家数101軒、鎮守は神明宮、寺院はほかに清浄泉寺、光則寺などがあります。長谷小路から神明町を経て上町に至るまで人家が建ち、旅宿業を農間余業とし、新宿では漁業を営んでいます。三浦郡小坪村と藤沢宿への人馬継立をすることもあります。
 清浄泉寺の本尊は鎌倉の大仏です。江戸時代初期に来日したイギリス人ジョン・セーリスは『日本渡航記』に大仏について記しており、リチャード・コックスは「ガウンを着けた鎌倉の大仏」と評しています。

 明治元年、神奈川府を経て神奈川県に所属しました。
 明治7年、長谷寺内に教立学舎があり、教員3人・生徒73人がいました。
 明治8年、長谷寺内の教立学舎は長谷学校と改称しました。
 『皇国地誌』では、税地は65町7反余のうち田2町8反余、畑20町6反、宅地4町4反余、山林37町8反余、坂ノ下に飛地があります。明治9年では、戸数120、人口687、船数9のうち、50石積荷船1、漁船8。
 明治22年、西鎌倉村の大字となりました。西鎌倉村の役場が設置されます。
 明治24年、戸数124、男380人、女347人。
 明治26年、長谷学校は乱橋材木座の桑楊枝学校と合併し、由比ヶ浜小学校となりました。
 明治27年、鎌倉町の大字となりました。
 明治35年、江ノ電長谷駅が開業しました。
 明治39年、大仏坂トンネルが開通し、藤沢〜鎌倉間が便利になりました。
 明治43年、長谷海岸に公設海水浴場が開設されました。
 明治45年、戸数389、人口1821。

 大正12年、関東大震災の被害は津波の襲来もあり、戸数553のうち全壊161、半壊201、全焼102、半焼2、流失30、埋没1、死者92でした。
 大正14年、戸数557、人口2721。
 昭和14年、鎌倉市の大字となりました。
 昭和18年、大町飛地の一部を編入しました。
 昭和25年、戸数1370、人口5660。
 昭和28年、大仏坂に新トンネルが完成しました。
 昭和39年、一部が由比ガ浜に分裂しました。
 昭和45年、戸数1262、人口4375。
 昭和47年、一部が坂ノ下に分離しました。

地名の由来

 長谷寺の寺名に由来しています。
 長谷寺ができたあと、鎌倉時代末期頃から使われ始めた地名だと考えられています。

常盤 梶原 佐助
笛田 長谷 笹目町
極楽寺 坂ノ下 由比ガ浜

高徳院の朱印


高徳院 鎌倉の大仏で有名な高徳院です。

長谷寺の朱印


長谷寺 通称、長谷観音。
 立派な観音様で有名です。

長谷寺の紅葉


長谷寺の紅葉 紫陽花と紅葉の名所として知られている長谷寺。
 赤く色付くモミジは大変綺麗で、鎌倉でもっとも有名な紅葉名所となっています。

長谷寺の紅葉ライトアップ


長谷寺の紅葉ライトアップ 紅葉が楽しめる時期だけ、期間限定で行われている紅葉ライトアップ。
 この時だけ、拝観時間が1時間延長され、普段とは違う幻想的な紅葉を観賞することができます。

収玄寺


収玄寺 日蓮宗のお寺で、四季折々の花が楽しめます。
 鎌倉時代の武士・四条頼基の屋敷がありました。

対僊閣・對僊閣


対僊閣 1927年(昭和2年)に建てられ、現在でも旅館として営業しています。
 寺院のような建築様式を取り入れた、戦前の和風建築です。

和み地蔵・良縁地蔵


和み地蔵・良縁地蔵 長谷寺の人気者となっている和み地蔵と良縁地蔵。
 もしかすると、本尊よりも人気があるのでは!?

地蔵堂


地蔵堂 長谷寺の地蔵堂。
 地蔵堂内には福壽地蔵が祀られ、周囲には無数の水子地蔵が並んでいます。

経蔵・輪転蔵


経蔵・輪蔵 長谷寺の経蔵・輪転蔵。
 中央には輪蔵が設置され、壁面にはマニ車が設置されています。日本では数少ない輪蔵とマニ車です。

大黒堂・弁天堂


大黒堂・弁天堂 長谷寺の大黒堂・弁天堂。
 大黒堂にはさわり大黒、出世開運授け大黒天がいます。弁天堂は福徳弁財天が祀られています。

弁天窟


弁天窟 長谷寺の弁天窟。
 弘法大師が祈願のために籠ったと伝えられています。壁面には弁財天などの仏像が並びます。

長谷寺


長谷寺 海光山慈照院長谷寺。長谷観音の名称で親しまれています。
 紫陽花や紅葉の名所となっており、境内には多数の伽藍が建ち並びます。

江ノ電長谷駅


江ノ電長谷駅 長谷エリア観光の玄関口となります。
 駅構内は狭いですが、観光客で混雑します。冬期はイルミネーションが点灯します。

 
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