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油壺湾


油壺湾

バス停油壺下車 徒歩10分
地図

 網代崎と名向崎に挟まれた幅100m〜150m、奥行700mのリアス式海岸の入江です。
 地名の由来は、湾内が油を流したように静かだからと言われています。また、新井城落城の際、三浦一族の死体が落ち、水面に油を漂わせたからとも言われています。
三浦半島観光地図:三浦市三崎町小網代:新井城

 油壷の地名は戦国時代のころから記録されています。
 天正18年の北条氏政書状写に、「三浦油つぼニも可為掛候」とあり、北条氏規に対して三浦半島の防備を固めるように命じています。
 豊臣方の敵状調査の実態を示す関東八州諸城覚書には、「油壺<北条美濃守>」とあり、この地は北条氏規が掌握していたことがわかります。
 網代崎は代々三浦一族の居城の新井城が、ほぼ三崎全域にわたって構築されていました。先端(西端)を城の内と呼びます。

 東京大学臨海実験所付近(網代崎の南端)に本丸があり、その北側に二の丸があったと伝えられ、その境界には土塁が残っています。
 永正13年7月11日、3年に及ぶ北条早雲との戦いで落城し、三浦義同・義意父子は討ち死にしました。『北条五代記』では永正15年、『関東管領記』では永正11年に落城とあります。
 三浦義同の墓には辞世の歌「うつものもうたるるものもかわらけよ、くだけて後はもとの土くれ」と刻まれています。
三浦半島観光地図:三浦市三崎町小網代:三浦義同の墓
人物事典:三浦義同

 地形を利用して、国土地理院が検潮所を設置し、海面水位の測定から土地の隆起・沈降・津波の解析を行っています。
 臨海生物の生態を研究する東京大学臨海実験所もあります。構内には、千駄やぐらという洞窟があり、『新編相模』には「洞中広さ六、七坪、道寸兵糧を貯置し所と云ふ」とあります。
 新井城二の丸跡には、京急油壺マリンパークになっています。

写真撮影:----年--月--日

油壺湾

バス停油壺下車 徒歩10分
油壺湾
油壺湾

 油壺のバス停から荒井浜へと向かう小道から、油壺湾の様子を見ることができます。この景色が、一番良く見かける油壺湾じゃないかなって思います。
三浦半島観光地図:三浦市三崎町小網代:荒井浜海岸
 下まで降りて油壺湾を見る人って、それほど多くはないんじゃないかなって気がします。どうやって行くのか、良くわかんないし(^^;)

写真撮影:2016年05月29日

油壺湾

バス停油壺下車 徒歩10分
油壺湾
油壺湾

 同じく荒井浜へと向かう小道から写真を撮りました。
 奥の方に見えるヨットハーバーは、三崎マリンです。こうして高い場所から眺めても、穏やかな海だなーっていうのがわかります。
 南国リゾートに来たみたいで、不思議な感覚を体験しました。
三浦半島観光地図:三浦市三崎町小網代:油壺ヨットハーバー

写真撮影:2016年05月29日

油壺湾

バス停油壺下車 徒歩10分
油壺湾
油壺湾

 崖を下って・・・
 ではなくて、細い坂道を下って油壺湾まで降りてみました。
 本当に波の静かな海ですねー。油を流したようなっていう表現、まさにその通りだなって思いました。
 湖のように静かです。

写真撮影:2016年05月29日

ヨット

バス停油壺下車 徒歩10分
ヨット
ヨット

 油壺湾の写真を撮っていたら、1艘のモーターヨットがやってきました。
 マリーナなんかもあるから、マリンレジャーが盛んでヨットの往来も多いです。きっと、お金持ちなんだろうなぁ〜。

写真撮影:2016年05月29日

ヨット

バス停油壺下車 徒歩10分
ヨット
ヨット

 たくさんのヨットが係留されていました。
 こんなにたくさんのヨットが係留されている光景は見る機会がほとんどないので、とても新鮮な印象を受けます。
 漁船が係留されている光景なら、良く見かけるんだけど・・・

写真撮影:2016年05月29日

おうち

バス停油壺下車 徒歩10分
おうち
おうち

 ちょっと変わったおうちを発見しました。
 海の上のオーシャンフロントな住宅?オンザオーシャン?
 すぐ近くに油壺ボートサービスっていうヨットハーバーがあるので、その関連施設かな?

写真撮影:2016年05月29日

油壺湾

バス停油壺下車 徒歩10分
油壺湾
油壺湾

 かなり引き潮だったので、岩が露出しているところもありました。
 体力に余裕があれば下に降りて貝殻探しをするんだけど、ギリギリの体力だったので今回はあきらめました。
 油壷のあたりでビーチコーミングに適した場所、どこかないのかなぁ〜。

写真撮影:2016年05月29日

三浦道寸父子と油壺湾

バス停油壺下車 徒歩10分
三浦道寸父子と油壺湾
三浦道寸父子と油壺湾

 三浦道寸父子と油壺湾
 関東制圧を狙っていた北条早雲が大軍で新井城に攻めてきたため、三浦道寸義同と子の荒次郎義意は城に立て籠もって3年も戦ったが、ついに永正15年(1518年)に城は落城し、道寸父子は自害したそうです。
 このとき、他の将兵お討ち死に、または湾へ投身したと伝えられています。そのため湾一面が血潮で染まり、まるで油を流したようになったので後世「油壺」と言われるようになったそうです。
 今日では、油壺湾、小網代湾、諸磯湾はヨットハーバーとして、また、油壺湾は台風等の大しけの時などは天然の入江を利用した漁船の避難場所にもなっています。
 環境省・神奈川県

写真撮影:2016年05月29日

アカテガニ

バス停油壺下車 徒歩10分
アカテガニ
アカテガニ

 小網代の森で有名なアカテガニ。
 夕方になってから、チラホラと見かけるようになりました。
 人の気配にとても敏感なので、すぐに巣穴の中に隠れてしまいます。
身近な生き物図鑑:甲殻類図鑑

写真撮影:2016年05月29日
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