三浦道寸父子と油壺湾
関東制圧を狙っていた北条早雲が大軍で新井城に攻めてきたため、三浦道寸義同と子の荒次郎義意は城に立て籠もって3年も戦ったが、ついに永正15年(1518年)に城は落城し、道寸父子は自害したそうです。
このとき、他の将兵お討ち死に、または湾へ投身したと伝えられています。そのため湾一面が血潮で染まり、まるで油を流したようになったので後世「油壺」と言われるようになったそうです。
今日では、油壺湾、小網代湾、諸磯湾はヨットハーバーとして、また、油壺湾は台風等の大しけの時などは天然の入江を利用した漁船の避難場所にもなっています。
環境省・神奈川県 |