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三浦義同の墓


三浦義同の墓

バス停油壺下車 徒歩15分
地図

 荒井城主・三浦道寸義同(みうら どうすん よしあつ)は、鎌倉以来坂東武門の名族である三浦一族最後の当主となりました。
 三浦一族の始祖為通にはじまり、鎌倉時代には北条氏とともに幕府を二分して覇権を争ったことは良く知られています。
 この間、和田の乱によって和田義盛は滅亡し、宝治合戦によって三浦泰村が滅亡するなど、興亡をく返し450年の後、奇しくも同じ北条を名乗る伊勢新九郎(北条早雲)と戦い、戦国騒乱の世の露と消えました。
人物事典:和田義盛
日本史年表:1213年:和田義盛の乱
 1512年(永正9年)、北条早雲は岡崎城(平塚市・伊勢原市にまたぐあたり)から、住吉城(逗子市)などに続いて、三浦氏の新井城に攻め込みました。
三浦半島観光地図:三浦市三崎町小網代:新井城
 日本籠城しでもまれな凄惨な攻防は3年に渡り、永正13年7月11日、義同以下城兵ことごとく決戦に臨み、ここに、さしもの三浦氏はその歴史を閉じました。
 三浦義同辞世の歌
 討つものも 討たるるものも かわらけよ、 砕けて後は もとの土くれ
 三浦義同の墓は、江戸時代中期の1782年(天明2年)、三浦一族の子孫、海蔵寺、永昌寺の住職が中心となって造立されました。円覚寺の寿徳庵にも、三浦義同の墓があります。ただし、寿徳庵は一般公開されていないので、見ることはできません。
人物事典:三浦義同
人物事典:三浦義意
三浦半島観光地図:三浦市三崎町小網代:三浦義意の墓

写真撮影:----年--月--日

三浦義同の墓

バス停油壺下車 徒歩15分
三浦義同の墓
三浦義同の墓

 油壺マリンパークの胴網海岸へと下る脇道の途中にあります。
 見付けにくい場所なので、訪れる際は事前に地図で確認しておくことをお勧めします。
 緑の木々に囲まれた坂道を下っていくと、二手に分かれるので、右側の壁に沿って進んでいきます。
 少し進んだ先、静かで薄暗い場所に三浦義同の墓があります。
 三浦一族終焉の地のためか、ややもの悲しさをを感じる場所ではありますが、心が澄み渡るような透き通った海を眺めることができる場所にあります。

写真撮影:2016年05月29日

三浦義同の墓

バス停油壺下車 徒歩15分
三浦義同の墓
三浦義同の墓

 道寸祭りの日に合わせて訪れたので、墓前でお参りしている人も何人か見かけました。
 おそらく平日には、誰もいなくなってしまうんじゃないかと思うほど静かな場所です。

写真撮影:2016年05月29日

三浦義同の墓

バス停油壺下車 徒歩15分
三浦義同の墓
三浦義同の墓

 お墓を囲む柵は斜めになって崩れかけていますが、とても大きく立派な墓石です。
 三浦義同が亡くなったのが1515年ですが、このお墓が造立されたのは1782年になってからです。
 実に250年以上もあとのことです。
 それまでの間、三浦義同は何を思ってこの地で眠っていたのだろうかと考えてしまいます。何かを考えるには、あまりにも長い時間が経過してしまいました。

写真撮影:2016年05月29日

三浦義同の墓

バス停油壺下車 徒歩15分
三浦義同の墓
三浦義同の墓

 墓石には三浦氏の家紋である丸に三つ引両が描かれています。
  描かれているのは、三浦三つ引両ではないんです。
 そして、従四位下、陸奥守道寸義同公之墓と彫られています。
 江戸時代中期の墓石で、これほど文字がハッキリしているものは、ちょっと珍しいです。
 しかも、海風が当たる木々しい環境に置かれていて、文字がクッキリしているというので、かなり質の良い硬い石を使い、文字を深く彫っていることがわかります。

写真撮影:2016年05月29日

説明看板

バス停油壺下車 徒歩15分
説明看板
説明看板

 三浦市によって立てられた三浦義同の墓の案内看板です。
 こういった説明看板があると、わかりやすくていいですね(^^)

写真撮影:2016年05月29日

お線香

バス停油壺下車 徒歩15分
お線香
お線香

 誰か監視している人がいるわけでもないのに、たくさんの線香が上げられていました。
 お線香代ということでしょうか、小銭もたくさん置かれていました。
 もちろんですが、手を付けていませんよ(^_^;)

写真撮影:2016年05月29日

卒塔婆

バス停油壺下車 徒歩15分
卒塔婆
卒塔婆

 供養のための卒塔婆が建てられていました。
 戦いに明け暮れることになった三浦義同・義意の父子を供養するためのものでしょうか。
 花と一緒に供えられているのは、貝殻の灰でしょうか?海岸の砂でしょうか?

写真撮影:2016年05月29日

卒塔婆

バス停油壺下車 徒歩15分
卒塔婆
卒塔婆

 使い終わった卒塔婆は、こちらに片付けられていました。
 書かれている文字を読むと、三浦道寸と書かれているものが多かったように感じます。

写真撮影:2016年05月29日

胴網海岸

バス停油壺下車 徒歩15分
胴網海岸
胴網海岸

 崖を見下ろすと、透明度の高い胴網海岸を見ることができます。
 これほど遠くから見ているのに、海底が見えるほど透き通っていました。
 何が釣れるのでしょうか、魚釣りをしている釣り人たちも見かけました。
 このあたり、三浦義意が首を切った際、胴体が落ちたあたりになるかもしれません。首は小田原まで飛んで行ったと言われています。
 何か釣れるかな?

写真撮影:2016年05月29日
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