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田辺大愚の句碑


田辺大愚の句碑

バス停油壺下車 徒歩15分
地図

 地元の俳人、田辺大愚が油壺思いながら作った句です。
 「外海は荒れてゐて、月の油壺」

 1887年(明治20年)、大和市に生まれました。本名は田辺高七といいます。
 1907年(明治40年)、20歳になった青年田辺は、故郷である大和市を出て、大磯や鎌倉などに転居します。
 1921年(大正10年)、三浦市三崎に移り住みました。その後、三浦の風土に親しみながら俳句を作り続けました。ホトトギス派の俳人・高浜虚子に師事します。高浜虚子はホトトギスの理念となる「客観写生」「花鳥諷詠」を提唱し、当時では俳句といえば高浜虚子といわれるほどの大きな存在でした。
 1935年(昭和10年)、三崎俳句会の指導に当たりました。
 現在、三崎俳句会では「みさき白秋まつり」で俳句会を行っています。
三浦半島観光地図:三浦市三崎町小網代:油壺湾
人物事典:北原白秋

写真撮影:----年--月--日

田辺大愚の句碑

バス停油壺下車 徒歩15分
田辺大愚の句碑
田辺大愚の句碑

 とても景色の美しい場所に建てられている2基の石碑。
 左側のとんがった石碑が、田辺大愚の石碑です。
 右側の丸っこい石碑が、「かながわの景勝50選」に選ばれている「油壺湾」の石碑です。
 完全に逆光なので、石碑の碑文はほとんど読めないですよね(^^;)
 荒井浜へと下る小径の途中、新井城址の説明看板のあるちょっと先にあります。
三浦半島観光地図:三浦市三崎町小網代:荒井浜海岸
三浦半島観光地図:三浦市三崎町小網代:新井城

写真撮影:2016年05月29日

田辺大愚の句碑

バス停油壺下車 徒歩15分
田辺大愚の句碑
田辺大愚の句碑

 違う向きから写真を撮りました。
 三浦市が設置した観光案内の看板、いつの間にか新しくなっていますね!
 しかも、日本語と英語で書かれてあります。
 この看板には北原白秋のことが書かれてあったので、この石碑は北原白秋のものだと思い込んでいたんですが、どうやら違うようでした。

写真撮影:2016年05月29日

田辺大愚の句碑

バス停油壺下車 徒歩15分
田辺大愚の句碑
田辺大愚の句碑

 外海は荒れてゐて
 月の油壺
  八十翁 大愚

写真撮影:2016年05月29日

田辺大愚の句碑

バス停油壺下車 徒歩15分
田辺大愚の句碑
田辺大愚の句碑

 田辺大愚本名高七、明治二十年大和市に生る。
 同四十年、郷里を出で大磯鎌倉等に転居。
 大正十年三浦三崎に居住 以来三十余
 年其風土に親しむ 俳句は
 高浜虚子に支持しホトトギス派に居て
 昭和十年三崎俳句會創立以来其指導に当る。
 三崎俳句會
 三浦市観光協會
 横須賀市
 石工 田中美雄

写真撮影:2016年05月29日

田辺大愚の句碑

バス停油壺下車 徒歩15分
田辺大愚の句碑
田辺大愚の句碑

 白秋ぶんがっコース、油壺
油壺しんととろりとして深し
しんととろりと底から光り

 三浦一族の哀史を秘める油壺は、白秋のこの一首からも一族500年の秘話を聞くことができるようです。
 大正のはじめ、この先にある東京大学三崎臨海実験所には海水を汲み上げるための大風車が回っていました。

夕焼小焼大風車のうへをゆく
雁が一列 鴉が三羽

油壺から諸磯見れはまんまろな
赤い夕日がいま落つるとこ

 このように油壺には歴史と自然の深いたたづまい、ハイカラさが同居していました。
 自由律俳句の萩原正泉水(はぎわらせいせんすい)も「旅の印象」でこのころの油壺の風情には詩の空気がこもっているようだと書いています。
 白秋の三崎時代の短唱「真珠抄」がのちに井泉水の自由律俳句に大きな影響を与えることになります。ともに油壺の水の色に感動し、作品が生まれたようです。

写真撮影:2016年05月29日

田辺大愚の句碑

バス停油壺下車 徒歩15分
田辺大愚の句碑
田辺大愚の句碑

 Poet Hakushu Literature Course
  Aburatsubo

 Aburatsubo shintotororitoshite fukashi
 Shintotorori soko kara hikari

 Aburatsubo deathly quiet, thick, deep
 Deathly quiet, thick
 Light shines from the bottom

 This poem tells the story of 500 years of the obscure, sad history of the entire Miura clan of their time at Aburatsubo. The poem was written by the poet, Kitahara Hakushu.
 At the beginning of the Taisho Period, near where the University of Tokyo Misaki Marine Biological Station is currently located, there was a large windmill used to pump seawater.

 Yuuyake koyake daifuusha no uhe wo yuku
 Gan go ichiretsu karasu ga samba

 Red sunset, the large windmill is turning
 A row of wild geese, three crows

 Aburatsubo kara Moroiso mire ha manmarona
 Akai yuuhi ga ima oturu toko

 From Aburatsubo one can see the red setting sun at Moroiso

 In the way, one can understand the deep relationship between history and nature in Aburatsubo.
 Freestyle haiku poet, hagiwara Seisensui, the author of Tabi no Inshyou, wrote that this time in Aburatsubo had a special feeling in the air to create poetry.
 Seisensui's style of poetry was largely influenced by the writings of Hakushu. Both of them had a great love for the color of the waters at Aburatsubo, thun their poems were born.

写真撮影:2016年05月29日

田辺大愚の句碑

バス停油壺下車 徒歩15分
田辺大愚の句碑
田辺大愚の句碑

 看板に英語が書いてあったので、良くわかんないんだけど、そのまま書き写してみた(^^;)
 ちょうど景色の美しい場所に、「かながわの景勝50選」の石碑が建てられています。
 私が初めてこの場所を訪れた際、美しい緑と、透き通った海の青に感動して気分がハイになりました。
 北原白秋や萩原正泉水が、私と同じように感じていたなんて、とても驚きました。
 三浦半島内の様々な場所を回っていますが、油壺の景色は特別だと思っています。

写真撮影:2016年05月29日
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