そらいろネット > 三浦半島観光地図 > 三浦半島事典 > 三浦半島の自然史1
三浦半島は、首都圏の太平洋側では、房総半島、伊豆半島に次ぐ、小さな半島です。 相模湾には、もっと小さな真鶴半島がありますが、長さは3キロメートルしかないので、真鶴半島と呼ぶよりも、真鶴岬と呼ぶほうがしっくりくるでしょう。
三浦半島の地形は、大きく分けて、北帯、中帯、南帯の3つの区域に分けることができます。
三浦半島や房総半島は、太平洋の深海底の太平洋プレート上で誕生したと考えられています。 誕生した地層がプレートに沿って北へ移動し、プレートが海溝に潜り込むことによって生じる運動エネルギーで、徐々に隆起していきました。そして約50万年前に海上に出て日本列島とつながりました。 フィリピン海プレートに沿って移動してきた伊豆半島が日本列島に衝突したエネルギーによって、三浦半島は時計回りに回転して現在の位置となりました。 三浦半島の隆起は現在でも続いています。関東大震災の際にも、城ヶ島周辺の広い範囲で海岸線が数メートル隆起しています。
三浦半島は狭いので、必然的に河川や湖沼は貧弱になります。自然の湖沼は極めて少なかったようです。 長い年月に渡る稲作農耕のため、数多くの灌漑用水池が作られました。以外にも湧水が豊富だったため、谷戸の奥を堰き止めたり、平地に用水池が造られました。1990年ごろ、三浦半島には60以上の用水池がありました。 次第に稲作が行われなくなり、平坦地は都市化され、用水池は潰されたり、公園化されたりしました。そして現在では、三浦半島全体で、池沼は20程度になっています。