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 新道開鑿碑

新道開鑿碑 京急三浦海岸駅下車 徒歩10分
地図
新道開鑿碑
新道開鑿碑
 新道開削の碑です。古い石碑なので、漢字も古い漢字が使われていますね。現在では「開鑿」は「開削」って書くのが一般的です。
 現在は国道134号線になっています。国道134号は、起点が神奈川県横須賀市の救急医療センター前交差点になり、国道16号と合流するところです。終点は神奈川県中郡大磯町の大磯駅入口交差点で、国道1号と合流します。
 長さは59.6kmになります。横須賀市、三浦市、鎌倉市、藤沢市、茅ヶ崎市、平塚市、大磯町の、おもに海岸線に沿って走る道路です。渋滞が少なければ、ドライブに快適なんですけどね。
写真撮影:2008年02月29日

新道開鑿碑 京急三浦海岸駅下車 徒歩10分
地図
新道開鑿碑
新道開鑿碑
 この新道開削には、長島雪操(ながしませっそう)も関わっていたようです。長島雪操といえば、南画、南宋画、水墨画、中国画などの画家でもあります。俳諧をにも造詣の深い、名筆家でもあります。それでいて、久里浜村では名主を勤めていたりもします。父親の長島六兵衛と、名主を継いだ長島雪操とで、尻こすり坂の開削も行いました。
三浦半島観光地図:横須賀市久里浜
三浦半島観光地図:横須賀市神明町・尻こすり坂開削碑
 鈴木正繹なる人物、石碑の碑文でたまに目にするんですが・・・。どのような人物なのか、良くわかりません。この石碑にも鈴木正繹の名が刻まれています。長井の人かな?鈴木呉雪(すずきごせつ)っていう人物がいたし。
三浦半島観光地図:横須賀市長井
 鎌倉の杉山長次なる人物が石碑を刻んだみたいです。鎌倉の石屋さんのことかな?
写真撮影:2008年02月29日

新道開鑿碑 京急三浦海岸駅下車 徒歩10分
地図
新道開鑿碑
新道開鑿碑
 新道開削の記念碑には、「國析民福」と書かれてあります。意味は良くわかりません(^^;)
 このヘタクソな字は、初代三浦群長を勤めた小川茂周(おがわしげちか)によるものです。横須賀に港を作るために埋め立てられた現在の小川町は、埋め立て事業を推進した小川茂周の名前から名づけられています。
 すでに幕末のころから活躍していた人物で、黒船来航時はまだ18歳でしたが、黒船に乗船して先進国の技術の高さに驚いたと言われています。なんと13歳ですでに、大津村の名主見習いの公職に就いていたという、驚くべき人物です。
 小川茂周は、三浦半島の近代化に大きく貢献した人物です。1914年(大正3年)、衣笠公園に小川茂周の功績を称える記念碑が建てられています。

三浦半島観光地図:横須賀市小川町
三浦半島観光地図:横須賀市小矢部・衣笠山公園
写真撮影:2008年02月29日

碑文 京急三浦海岸駅下車 徒歩10分
地図
碑文
碑文
 碑文はすべて漢字で書かれています、しかも現在の常用漢字ではなく、昔の漢字で書かれているため、解読が難しい(TωT)。正直、何が書かれているのかよくわかりません。拓本をとったわけではなく、デジカメの写真を見ながら読み取っているので、間違っているかもしれない。
 新道開鑿碑 三浦郡長 從六位 小川茂周 篆額
 浦賀而三崎其間多眺望之勝而靠山沿海道路險隘
 艱車馬之歩久矣其中央有村曰上宮田平沙遠連古松
 蓊欝人家疎々相接鶏鳴狗吠相應桃花隔籬大涼風可
 掬金波碎月暖曦足以煤四時常有漁網利葢可亦謂一
 樂士也然而前後坂道不易通獨以爲憾焉今茲癸巳村
 人相謀得修道費若干■聞官補給金千圓於是産凸堙
 凹鑿山腹而通新道晨夜從事閲六旬而竣功乃先之艱
 歩者謳歌而得行焉嗚呼此地日富勝而有陸海之産今
 又便交通運搬其爲褥u大可不謂是國之利而民尤
 福乎交成夾詣余作銘銘曰
  相南之郷 松青沙曰 夷險休勞 百世仰澤
  足用假辭 永傳勤石
 明治二十六年四月 鈴木正繹撰
  雪操七十六老農覧書
  鎌倉杉山長次刻
 たぶん、こんな感じだと思います。
写真撮影:2008年02月29日

国道134号 京急三浦海岸駅下車 徒歩10分
地図
国道134号
国道134号
 開削された道路は、現在はこのようになっています。新道開削記念の碑から、坂道の上り方面を写真に撮りました。
 この道路が開通する前は、海岸沿いの細くて険しい道を利用していたみたいです。交通の便が悪いため、新しく道路を作ったようです。海の波が激しいときは、通れないこともあったと思います。
 長い上り坂が続くので、山を削ったりして当時としてはかなりの難工事だったと思います。
 右側に見えるのは、「ことね荘」の入り口です。
三浦半島観光地図:三浦市南下浦町上宮田・ことね荘
写真撮影:2008年02月29日

国道134号 京急三浦海岸駅下車 徒歩10分
地図
国道134号
国道134号
 新道開削記念の碑から、下り坂方面の写真。
 この2枚を見れば、車を運転する人だったら「あー、あの場所かー」って感じでわかると思います。でも石碑が建っていることには、気が付いていない人がほとんどなんじゃないかなー。車を運転していて石碑を見てたら、わき見運転になっちゃうし。
 昔からこんなに幅が広い道路ではありませんよ。当時は馬車が1台通れる程度の道幅しかなかったんじゃないのかなー。新道開通後、何度も工事が行われて現在の道路になっています。
写真撮影:2008年02月29日
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