碑文はすべて漢字で書かれています、しかも現在の常用漢字ではなく、昔の漢字で書かれているため、解読が難しい(TωT)。正直、何が書かれているのかよくわかりません。拓本をとったわけではなく、デジカメの写真を見ながら読み取っているので、間違っているかもしれない。
新道開鑿碑 三浦郡長 從六位 小川茂周 篆額
浦賀而三崎其間多眺望之勝而靠山沿海道路險隘
艱車馬之歩久矣其中央有村曰上宮田平沙遠連古松
蓊欝人家疎々相接鶏鳴狗吠相應桃花隔籬大涼風可
掬金波碎月暖曦足以煤四時常有漁網利葢可亦謂一
樂士也然而前後坂道不易通獨以爲憾焉今茲癸巳村
人相謀得修道費若干■聞官補給金千圓於是産凸堙
凹鑿山腹而通新道晨夜從事閲六旬而竣功乃先之艱
歩者謳歌而得行焉嗚呼此地日富勝而有陸海之産今
又便交通運搬其爲褥u大可不謂是國之利而民尤
福乎交成夾詣余作銘銘曰
相南之郷 松青沙曰 夷險休勞 百世仰澤
足用假辭 永傳勤石
明治二十六年四月 鈴木正繹撰
雪操七十六老農覧書
鎌倉杉山長次刻
たぶん、こんな感じだと思います。 |
写真撮影:2008年02月29日 |
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